Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

戦中派不戦日記 (五月二十五日~)

今日も戦中派不戦日記から。今日紹介する最初の日記は、白金台町が爆撃されるシーン。うろうろしていると軍人さんに見つかって手伝えといわれて消火活動の手伝いをするのだが、まさに焼け石に水。これが、

しかし面白いことは面白かった。
(五月二十五日)

やりがいはあったということか。消火活動のようなものは作業が見える形で結果になるから、確かに面白い要素はある。面白いというような場面ではないのだが、面白いものは仕方ない。自然災害が発生するとボランティアが集まってくるが、嫌々やっているわけではない。義務感でもない。やはり面白いという要素がどこかにないと、人間はなかなか動かない。

さて、この25日の日記だが、実は5月23日の次が6月5日に飛んでいる。24日からこの日まで、日記を書く暇もなかったので、後から思い出して書いたという。流石に空襲直撃で火災から逃げるときに日記どころではなかったようだ。焼夷弾は落ちてくるが、日本軍も黙っていないので撃ち落されるB29もいる。このときに爆撃機に乗っていた航空兵はパラシュートで脱出する。日本だと撃ち落されそうになったら敵に体当たりするような気もするのだが、米兵はまず自分が生きることを優先する。

「落下傘で下りて来よる。そりゃだれかて命は惜しゅおまっさ。けんど人殺しに来よって、落下傘で下りりゃ助けてもらえると思っているのだっしゃろか、虫がよすぎて、ちょっとこっちゃに分りまへんな」
(六月十二日)

落下傘で下りてきた米兵は、当然ボコられる。市民に殴り殺されたという記述も見られる。降伏した兵士を殺したら戦争犯罪になるのかもしれないが、家族やご近所さんが大勢焼き殺されている一般市民を相手にそんな論理は通用しない。ただ、引用した箇所には「人殺しに来よって」という言葉が出てくるが、おそらく米兵は爆撃を人殺しとは思っていないのであろう。ていうか、米兵としては日本人がアメリカ人と同じ人間であるとは思っていないだろう。虫けらを殺した程度にしか思っていないはずだ。差別というのはそういうものだ。

流石に学校存続は無理ということで、医学校は疎開することになる。山田さんが学校疎開するときに、母校に向って語りかけるのだが、面白いことを書いている。

自分ばかりではない、みな誰もかれも嘘ばかり叫んでいるような気がする。
(六月十七日)

そのときに出てきた科白。何が嘘なのかというのは、続いて、

愛国の情は嘘なのか。嘘ではない! どんなに惨めな、影の薄い日本人だって、日本が勝った方がよいと思っているにきまっている。しかし、五のことを十にいうのは嘘である。ビールをウイスキーというのは嘘である。要するに、誇張は嘘である。
(六月十七日)

ビールをウイスキーというのは誇張ではないと思うのだが、盛るのは嘘だというのは分かる。意図的に隠すのも嘘かもしれない。では沈黙は嘘なのかというのが個人的には気になった。ここでもう一つ気になるのは、本当に誰でも日本が勝った方がよいと思っているのか、というところだ。ご存知かもしれないが、この戦争の分析においては、意図的に負けたという説まであるのだ。

諸君。正直にいいて吾らはB29のためにこの境地まで追いこまれたるなり。必ずこの復讐を忘るることなかれ。
(六月二十七日)

山田さんの復讐心は結構しぶとい。やられたらやり返すというのはイスラム的にも基本の思想だし、公平性という意味では正しいのかもしれない。また、

この戦争はわれら一代にあらず、孫子の代までも戦わねばならぬ戦いなり
(六月二十八日)

出征の人の言葉。日本全体がこういう思想に満ち溢れていたから、復讐というのはむしろ当然か。では今の日本に、機会があればアメリカの主要都市を爆撃したいと考えている人はいるのだろうか。アメリカは日本の主要都市を爆撃したことを一切謝罪していない。原爆を落としたことはともかく、一般市民を虐殺したことに関しては、特に悪いこととは思っていないのだろう。体験してみないと分からないということは実際にあるものだ。

明日(多分)は7月の日記から。


戦中派不戦日記
山田 風太郎 著
角川文庫
ISBN: 978-4041356586