Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

戦中派不戦日記

今日は戦中派不戦日記、二月からスタート。

先日の都心爆撃に於て死者七百、負傷者一万五千なりと、中天に吹っ飛びし者あり、木っ葉微塵となりし者あり。石に打たれて惨死せし者あり。顔半分打砕かれ、腸ひっちぎれし者あり、白けて石地蔵のごとく転がりて死せり者あり種々噂しきりなり。
(二月十日)

ここで先日というのは一月二十七日の空襲と思われる。Wikipedia では死者539人となっている。

ルーズヴェルトの話は6月9日に雑記として紹介した。

吾々はここに武士の情けを以てその哀悼を祈りたい。
(四月十三日)

この感覚がおそらく日本独特ではないか。騎士道というのはあるとしても、武士道とはかなりベクトルがズレているような気もするのだ。

そういえば、武士のメンタルの強さというのは尋常ではないが、どうやって鍛えるのか、今の教育者が考えるべき問題だと思う。

喧嘩のシーンは「君たちはどう生きるか」にも出てきて、結構派手に殴っていたようだが、

殴る、殴られる、この景、中学時代より幾たび見しことぞ。それどころか、中学時代余も大いに殴りかつ殴られき、この学校に入ってからですら去年殴られき。
(四月二十七日)

暴力を肯定する気は微塵もないが、暴力に効用があることまで否定してはいけない。古来から伝えられ続けてきた技には必ず意味があるのだ。最近のいじめが酷くなる一因として、殴られたことがない子供が加減が分からないためにやりすぎてしまう、という意見もある。殴ったり殴られたことがない人に、どの程度までなら致命傷にならないか、など分かるはずもない。武術や格闘技のようなものは一度は体験すべきなのかもしれない。

善悪ということでいえば、山田さんはヒトラーについて、

ヒトラーの歴史的意義、人物評価は百年の後に知らるべし。
(五月二日)

このように述べている。今の世の中では、ヒトラーは全て悪という解釈をしている人が多いように思える。どのような事においても、良いところもあれば悪いところもあるはずなのだが、人物評として一方的な解釈をするのが普通になっているのは興味深い。人間の判断力の限界なのか、善悪のような評価に関しては結論が二値的な思考になりがちなのかもしれない。

ところで、戦時中といえばずっと隠れて生活しているようなイメージがあるかもしれないが、山田さんは結構よく外出している。

午後楢原に誘われて、日比谷劇場に黒沢明の「続姿三四郎」を観にゆく。
(五月十二日)

4月14日、15日には空襲があって、東京で何千人も死んでいるのだが、それでも1か月たたないうちに映画を観に行くのである。

ちょっと疲れているので今日はここで切る。最後に同じ十二日に面白い文があったので紹介しておく。

人気は恐るべきものなり。すべてを見、すべてを知りて人は歓呼するにあらず。多くは何が何だか分からざるままに熱狂するものなり。


戦中派不戦日記
山田 風太郎 著
角川文庫
ISBN: 978-4041356586