Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

ラメルノエリキサ

主人公の名前は小峰りな。女子高生。母親からはりなちゃん、クラスメートからはりなちーと呼ばれている。

趣味は復讐

「姉は私を復讐の申し子と呼ぶわ」
(p.172)

物騒度極限MAX。目には目を、という原理を理解してから、やりすぎないようにリミッターを発動させている。しかしいまいち信用できない。そして発想ベクトルがすこしヘン。でも理解できなくもないから微妙で困る。

例えば、夜道にイヤホン付けてあるくなとママに言われて、そうすると痴漢やひったくりにあう率が高いという理屈は理解できても、結局反抗する。

痴漢やひったくりを恐れて音楽を聴くのを我慢するということは、痴漢やひったくりに音楽を聴く楽しい時間を奪われるということだ。
(p.14)

そういう考え方も成程、否定はできない。ある意味負けたということではあるし、ただその後、痴漢やひったくりどころではない大事件になってしまうから困ったものだ。親の言うことは聞け。

考え方を一言でいえば自分ファーストなのだが、どこか典型的なパターンに収まりきらず、徹底して逸脱している。例えば同級生の篠田に対して八つ当たりで極めてヒドい言葉を投げつけた後に、そのことを後悔する。そして謝りたいと思うのだが、それは悪いことをしたからではなく、自分がスッキリするためだという。

とにかくひたすら自分のための要求で、篠田の気持ちなんて二の次なのだ。
(p.66)

悪いことをしたままだと気分が悪いから謝る。ひねくれた考えだという人もいるかもしれないが、個人的には、これがむしろ自然な行動だと思う。他の人に悪いから…なんてのは所詮綺麗事、自分とは関係ない話じゃないか。そんなことでは人間は動かないものだ。他人に悪いからではなく、他人に悪いという状態が自分の気持ちとしても悪いから、という理屈は自然であり、結局そこに行き着くのだ。逆に、他人のために何かしたいというのは、そうすれば自分が満足できるから、自分が気分いいから。それが本当の目的だ。だから、自分がイヤな気持ちになってまで他人のために何かしたいという人は滅多にいない。

他人の行動まで自分基準をベースに考えるのだが、ロジックの組み立て方は案外冷静である。

お姉ちゃんは自分の幸せのために、私を殺すというアイディアだってきっと何回かは思いついたはずで、それならまあ死体遺棄を手伝った方が楽ね、という決断に至ったのだろう。
(p.183)

これは復讐に萌えている【違】妹を追いかけてきた姉の車の中にシャベルとブルーシートを見つけたときの考察。

DNAが似ているからか、同じ親に育てられたせいか、いずれにせよ姉妹が同じような思考回路を持つのは当たり前のこと。妹は復讐マニアだけど姉はそうではない、と短絡的に考えて済む話ではなく、根っこのところの自分ファーストが生きている。姉はりなが他人を殺すと自分が迷惑するからヤメて欲しいと思っているのだ。しかも、こうまで言っている。

誰かを傷つけて犯罪者になるくらいなら、いっそ殺されて欲しいな。
(p.145)

妹の幸せよりも自分が迷惑しないことを優先するのは当然なのだ。誰だってそうなのだ。

ネタバレになるから伏せておくが、その自分ファーストな発想が、ラメルノエリキサ【謎】の論理に結果的に負けているのが面白い。あと、個人的には脇役の孤独派文学少女の立川さんがちょっと気になった。


ラメルノエリキサ
渡辺 優 著
集英社文庫
ISBN: 978-4087457001