Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

戦中派闇市日記―昭和22年・昭和23年 (2)

昨日に続いて「戦中派闇市日記」。日記の中には格言的、哲学的な文もかなり出てくる。例えば「急進」に関して述べた次の文。

保守も急進も、単に時の問題に過ぎぬ、今日の急進は明日の保守であり、今日の保守は昨日の急進である。
(昭和二十二年五月二十八日)

道理である。こんなことを言われたら誰も反論できない。確かに永遠の新作は有り得ない。時間がたてば準新作になって旧作になる。まあでも、そういう話は芭蕉の頃から言われているし、下手したら平家物語の時代から周知の事実だ。もっと遡れるかもしれない。

ともあれ、幸福についてのこの記述は興味深い。

ローマ時代が、中世期の暗黒時代より幸福であったとは思われず、明治時代が徳川時代より愉快であったとは考えられぬ。あらゆる時代に幸福があり、不幸があった。その相対量は大体同じであったように思われる。
(昭和二十二年五月二十八日)

幸福量一定の法則かな。違うかも。そして、山田氏の学生時代の幸福というのは、とにかく食えるということであった。食えない状態が食えるに変化すると幸福感が得られる。現代(2018年)のように、いつでも好きなだけ食えるようになってしまうと、残念ながら食っただけでは幸福感は得られない。食えても有難味の増加がない、相対的に量が0であるから幸福になれない。

相対的思考という点では、これはどうか。

人間には戦争などの屍山血河中に身を置くよりは、女房の不義のごとき小事の方が精神的に大打撃を受くるもののごとし、
(昭和二十二年五月三十一日)

空襲で爆撃されている最中も案外精神はしっかりしている、という話のようだ。緊急の生命の危機という condition red でも落ち着いていられるのに、妻の浮気でアタフタするのは、いつの時代も同じか。

戦争と平和、という映画の話題ではこんな話が出てくる。

先々週だか封切の筈だったところ、無期延期となった。これは映画中の米空軍爆撃のシーンがあまりに凄惨だった為、司令部よりカットを命ぜられたのが理由だという。そのシーンがどれくらい凄いのか知らんが、実際はもっと残虐だったことは経験者たる吾々が知っている。
(昭和二十二年六月二日)

もっと残虐というところが生々しい。事実は小説よりも残酷なり。それを経験してしまうと大抵のことには驚かないはずなのに、それでも妻の浮気の方が心乱されるのか。

兵士の精神状態については、こんな記述もある。

将兵には本対戦中ノイローゼ、或は発狂せるもの極めて多数なりき
(昭和二十二年五月三十一日)

先の大戦の戦記はたくさんあるが、このような話はたくさん出てくる。沖縄戦のような激戦地で、圧倒的兵力を持っている米軍が、カミカゼがいつ飛んでくるか心配でノイローゼになってしまう。日本人とアメリカ人の思想的差異は何なのか。カミカゼはビジネスライクに戦争をするアメリカ人には理解できないというのだが、

それにしてもマッカーサーはどうして隣組や町会を廃止するのだろう。
(昭和二十二年六月四日)

このあたりに何かヒントがありそうな気がする。日本的発想の根幹にあるのは同族・仲間意識だ。家族や知人のようなグループ、もしくは町や国といった社会のために個人を犠牲にして全体を救うという発想である。カミカゼにおいては、どうせ皆殺しにされるのなら、自分が特攻することで誰かを助けられた方が結果的にはいいという計算がなかったか。

マッカーサー隣組を廃止しようとした、というのは記憶になかった。アメリカ的な思想としては、個人的には自治を重視するのが基本という印象もあるが、何を恐れたのかというところがポイントなのだろう。

報道批判、というか、冷めた感想みたいなものがある。

日本には元帥の成功を祝福する声のみ聞えているが、それはその声しか許されないからだ。
(昭和二十二年六月四日)

これは今の新聞も同じだと思う。但し、当時は上からの圧力だったと思われるが、今のマスコミは何がしたいのか全然分からない。しかし少なくとも公平な報道をする気がないことだけはよく分かる。一体誰から圧力を受けているのかが分からない。宇宙人かもしれない。

己は一体、こんな日記を書いて何になるのか、他人が読んで面白いだろうとは考えられない。
(昭和二十二年六月六日)

私もブログを大量に書いているから少しはその気持ちが分かるような気がする。元々、私の場合も他人が読んで面白いだろうとはまず考えていない。但し、自分で書いていて、これは面白いと思うことが、数百回のうち何回かある。そういうのは自分が面白いので何度も読み直してニヤニヤしている。最近だと例えば「ねじまき鳥クロニクル」で書いた緯度の話だ。あれは自分では面白いと思っているが、極言すれば単なるオヤジギャグの域すら超えがたい程度だから、従って他人にとっても面白いとまでは言い辛い。知恵袋に書く回答の中にも、数百の中に1回や2回はそういうことがある。

余談はさておき、山田氏のこの日記は他人が読んで猶面白い事間違いない。それは時代を知らない人に対する意表が満載だからだけでなく、文体の妙というのもあるだろう。

当時の貧困度については、日記の至るところにソレっぽい内容があるわけだが、

われわれは貧乏とか苦しみとかいうものに理由のないメッキをかぶせて飾る滑稽な癖がある。立志伝中の人はその伝記に若い日の苦しみを得意気に書いているから、われわれは苦しみが成功の主要なる原因であると考える傾向があるらしい。
(昭和二十二年六月六日)

よく見る言葉に「努力は報われる」というものがある。クールに考えるならば、報われるのは努力そのものではなく、努力の対象となったその行為である。努力したから報われたわけではないだろう。それが転じて「苦しみが報われる」的なベクトルになるという分析はなかなか鋭い。

最近も新宿ではデモ行進をたまに見かけるが、

“食えるだけ賃金を呉れ!”
(昭和二十二年七月二十一日)

賃金値上げのデモ行進だ。流石に今の時代にこのレベルのデモは見たことがない。

このような庶民の生活についても参考になる話題がたくさん出てくる。とはいえ、次の話は単独でぶっ飛んでいると思うが、

お釜は食器であろうか?
(昭和二十二年七月二十九日)

裏のお巡りさんのおかみさんに問われたという。ここで難しいのはおかみさんの理解できるレベルで納得させないといけない点に尽きる。しかし何でこんな質問が飛び出てきたのかというのが面白い。

「今、あの民主教育ってやつでしょう? 何でも先生が教えずに子供に考えさせるのだそうで、私みたいに古いものは困っちゃうんですの」
(昭和二十二年七月二十九日)

子供に考えさせる教育というのは今頃またやっているような気もするが、実は昭和22年に既に試みていたのだ。裏を返せば、それまでの教育は押し付けの教育、生徒は先生に言われた通りに覚え、言われた通りに考え、言われた通りに動く、そのようなロボット人間を作るようなものだったのか。明治以降の文献を見ても、そこまで酷いものには見えないが、ここで「考えさせる」という無責任な方向が面白い。考えた結果が「社会は独裁によるべきだ」とか「戦争は正義である」のような結論になってしまったら、一体どうするつもりなのか。

ちなみに、結論としては、お釜は食器ではなく調理器具だろう、という無難なところに落ち着いている。じゃあ鍋はどうだと突っ込みたくなる。私はインスタントラーメンを鍋で作ってそのまま食っているから、これはある意味食器で絶対間違いない。もちろん、調理器具 AND 食器というオブジェクトが存在しても別に問題はない。

列車が大混雑してインドのよう、という話は既に書いたが、事故もあったようだ。

途中、汽車にフリ落とされて死んだ青年のモッコにてかつがれ行くを見る。
(昭和二十二年八月二十二日)

どんな乗り方をしていたのか謎だが、屋根にでも乗っていたのかもしれないし、外にしがみ付いていたのかもしれない。インドの電車はあまり速度を出していないようだが、高速運転中に落ちてはたまらないだろう。

また話は変わるが、ちょっと気になる記述があった。

「よく遊びよく学べ」とは小学校の格言である。しかし古来からの天才児の大部分はよく遊ばずよく学ばず、夢みるようにぼんやりした少年だった。
(昭和二十二年九月十二日)

黙って考えることが重要だということだろうか。ぼーっとしていた方が将来有望ということか。個人的にはこれはイメージできない。身近にモチーフとなった人物がいたのかもしれない。そもそも私は天才に出会ったことがあっただろうか。そこがまず怪しいかもしれない。

§

十一日 東京地裁判事・山口良忠、闇食料を拒否し餓死
(p.186)

この日記は月初めのところに、1ページ使ってその年月にあった歴史的事件をいくつか紹介している。日記を出版するときに追記したのだと思うが、その中の一つがコレで、有名な話である。少し細かいところを他の本から引用しておくと、

東京地裁判事であった山口は、太平洋戦争敗戦後、裁判官として闇米を買うことを拒否して栄養失調になり、昭和二十二年八月二十七日、東京地裁で倒れた。(略)
 十月十一日午後二時半、夫人が新聞を持って来て、それを受けとろうとした判事の手がふいにぱたりと落ちたかと思うと、彼は死んでいた。
 残された感想集には、こんな文章が書かれていた。
「善人の社会での落伍者は悪人であるが、悪人の社会での落伍者は善人である」
(人間臨終図巻1、山田風太郎著、徳間文庫、p.136)

私が子供の頃に聞いた話だと、この山口さんは、闇市で買い出してくるのは違法行為だから、裁判官としてすべきではない。裁判官は法律を厳密に守るべきだといって、その結果、栄養失調になって死んでしまった。偉い人だ、みたいな。本当に偉いのかという印象は残る。法律にも緊急避難という発想があって、生命を守るためにはある程度の違法行為は合法となる。配給食品だけで死んでしまうのなら手段を選ばず食い物を調達しようというのは当然の行動なのでは、そんな考え方をしたような気もする。

また、本当に配給だけでは餓死してしまうのか。闇市で食い物を仕入れてくる時代だったとしても、餓死するというのは何か極端すぎて奇妙な感じがする。例えば夫人はどうなのか。同じものを食べていたのなら、家族も全滅していそうなものだ。本人には法を遵守しろと言わなかったのかもしれない。

話は変わって、

「あなたは天才だ」こう言われ、しかもその讃辞が真に意味あるのは、いう人自身が天才である場合に限る。
(昭和二十二年十月十五日)

先に紹介した言葉である。一般大衆に天才の何が分かるのか、といわれたら区別するだけなら何となく分かりそうな気がしてくるが、そこに真の意味が見出せるのかという話になると怪しい。凡人曰くの天才と、天才の認める天才は、やはり違うのであろう。私は凡であるからよく分からんが、ただここで山田氏の言いたいのは、凡人には天才を理解できないだろうという点だ。それは一理あるとは思うが、だったらなぜ凡人は天才を天才と称するのか。

大部分の人間はただ名声に幻惑しているだけで、いいと思えばいいと思うだけの話だ。
(昭和二十二年十月十五日)

皆がいいというからいいと思う。人間的でよろしい。いや、AI的というべきか。さて、今日は最後に山田氏のグチというか嘆き的なことを紹介して終わりたい。

日本の軍閥の罪に依って、と世界はいう。軍閥の侵略主義に依ってと彼らはいう。軍はどこを侵略したのか。満州か? 支那か? 仏印か? マレーか? 蘭印か? それならば開放されたというそれらの土地は今どうなっているのか。満州にはソビエットが、支那と朝鮮には米国とソ連が、仏印には仏蘭西が、マレーには英国が、蘭印にはオランダが、また住民達の苦しみの上に、相争い君臨しているではないか。
(昭和二十二年十月三十一日)

軍事裁判で日本が有罪である理由が理由になっていないと非難しているのである。そんなことはわざわざ書かなくても日本人なら誰でも分かるし、連合国も知った上でやっているのだ。建前と本音は違う。東京裁判は建前の裁判でそこに正義は存在しなかった。それだけのこと。ギャングが裏切り者を制裁するのと同じパターンだと思えば腑に落ちる。

(つづく)


戦中派闇市日記―昭和22年・昭和23年
山田 風太郎 著
小学館
ISBN: 978-4093874403