Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

素数の音楽

今日は、3日に紹介した「素数の音楽」を。

この本はとても面白いが、数学が嫌いな人にとってはどこが面白いのか全く分からないだろう。ザックリいえば、数学者列伝である。私の場合、出てくる人が殆ど知っている数学者ばかりだから、この人はそうだったのか的な薀蓄が増えるのがとても面白いが、数学者を知らない人だと、リーマンって会社員のこと?、で終わってしまうかもしれない。

もちろんリーマンというのは大数学者のリーマンのことであり、この本のストーリーの根幹を成しているリーマン予想を問いかけた張本人である。そして、この本はリーマン予想と戦って破れた人達と今なお戦っている戦士達の武勇伝なのである。この人、いかにも数学者らしい、なかなかいい性格で、

リーマンにとっては、何事も完ぺきでなければならず、満点が取れないなどという不名誉には耐えられなかったのだ。
(p.93)

というような極端な人だったのだ。そして天才的なエピソードはいくらでもあって、例えばリーマンがルジャンドル整数論という本を借りて読んだときのエピソード。

リーマンは、四つ折り版で八五九ページというこの分厚い著作をむさぼるように読み、六日後にシュマルフスに本を返したときには、なんと次のように言い切った。「これはすばらしい本です。ぼくは、この本を暗記しました」
(p.97)

こんな感じで、大御所が次々と紹介されていく。大学で解析学を学べば必ず出てくるコーシーについては、

幼い頃からひ弱だったコーシーは、体を使うより頭を使うことを好んだ。
(p.101)

運動が苦手というのが数学への近道なのかもしれない。この人達はなぜそこまでして数学に拘るのか。

数学をしていて心が躍るのは、結果を現実に応用できるからではなく、数学そのものが美しいからだ。
(p.120)

確かにある種の数を見ていると何か魔法がかけられているような気がすることは多々ある。

もう一つの数学者の特徴は、頭の中が多次元空間になっていることである。普通の人は3次元の空間しか認識できない。アインシュタイン的にいえば、3次元プラス時間軸の4次元の時空間だ。それがイメージできる限界である。ところが、数学者はそれ以上の次元を頭の中に具体的に構造化することができる。

数学者たちは、数学の言葉を使って心の目を訓練しているので、このような構造を「見る」ことができる。
(p.130)

ラマヌジャンの話は壮絶。分割数の公式は複雑すぎてここには書けない。

ところで、多くの数学者や科学者が、これは自分が発見したと主張したがるものだが、ヒルベルトの第10問題を解いた人の争いが面白い。発見したのはマティヤセヴィッチとロビンソンという二人で、お互いに考え合って協力して進めて行った最後の一押しをしたのがマティヤセヴィッチなのだが、この二人は、

互いに困難な部分を成し遂げたのは相手だと言い張ったのである。
(p.299)

何をしたいのかよく分からない。

もちろん四色問題の話も出てくる。

ガスリーは一八五二年に、ロンドン大学ユニバーシティカレッジで数学を専攻していた弟に、地図の塗り分けが常に四色で十分だと証明した人間はいるか、とたずねた。
(p.317)

この問題は、ご存知かもしれないが、アッペルとハーケンによりコンピュータを使って1976年に証明された。現代に近づくにつれてコンピュータの話題がどんどん増えていく。この本の後半ではチューリングRSAの三人、Rivest–Shamir–Adleman が出てくる。それでもリーマン予想は予想のまま突っ走る。素数はビジネスになったのだ。でも肝心の予想がまだ解けていない。

 

素数の音楽
マーカス・デュ・ソートイ 著
冨永 星 翻訳
新潮社
ISBN: 978-4105900496