Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

東大卒貧困ワーカー

この本、タイトルが「東大卒貧困ワーカー」だが、書いてあることは東大とは何の関係もない。ただ単にこの本の著者が東大卒だというだけのことである。

東大生なのに就活で全落ちしてどこも雇ってくれなくて途方に暮れるみたいな面白い話なのかと思って期待したのに、読んだら全然違う。騙された

もともと大阪の毎日放送でアナウンサーとして勤務していた
(p.17)

というから、その種のレトリックはお手の物なのだろう。まじ卍【違】騙された感が半端ないが、書いてある内容は普通にインパクトのあるドキュメンタリーである。本人が経験して書いているから臨場感もあるし、出てくる数字にも一応の説明があったりするから納得できる。例えば、

米国流で計算した日本の実質的な失業率は16%となる。
(p.17)

このような数字がポンと出てくるのは実に興味深い。

ロジックも合理的である。本人の体験から出てくる結論だから当たり前かもしれないが、例えば最低賃金について。

真っ先にやってほしいのは「非正規でも8時間働ける」ように求人を改めさせることだ。最低賃金は生活保障の枠組みとして機能していない。
(p.31)

これは何のことかというと、1日2時間とか3時間の仕事だと、最低賃金が守られていても生活できないでしょ、という話。

働き方改革が微妙に流行語になっているけど、政府は底辺層の企業や労働者が何をやっているか知らないのか、頓珍漢な対策をする。最低賃金引き上げがその典型的な例だ。賃金が少ないから最低賃金を決めよう。最低ラインを決めたら労働者の収入が上がるだろう。発想はだいたいそんな所だろうか。現実は違う。最低賃金を上げたら、そんなに払えないから雇えなくなる。働く側にしてみれば仕事がなくなる。会社側としては仕事が片付かないから潰れる。結局、うまくいってない中小企業が倒産して、うまくいってる大企業だけが残る。統計的な数字は改善されるから、政府としては万歳だ。あれ、政府としてはうまくいってるのか、これが思惑通りだとしたら、底辺でジタバタしている人達がうまいことヤラれていることになる。

話を戻すと、個人的には最低賃金が払えないと雇えないと思い込んでいたのだが、まだそこに穴があって、先に紹介したように払える時間だけ雇うという手があったのだ。8時間分の賃金は出せなくても、2時間や3時間なら何とかなる。労働者はそれじゃ食えないかもしれないが、企業側は少し助かる。後はそっち側の問題なのだ。

軽作業の話も面白い。

重労働なのに「軽作業」と称して労働者を集めるのも、人材企業が制定したルールでは「手を使って物を運ぶ作業」はすべて「軽作業」と呼ばれるからセーフ
(p.41)

20kgの米俵を2俵ずつ運ぶような仕事でも、機械を使わなかったら軽作業らしい。宇宙人ジョーンズが活躍するわけだ。軽作業だから荷物も軽いだろうというのは認知バイアスで心理学的に説明できそうだが、そういう話ではない。

同一労働同一賃金の話で面白かったのは、ビールの売り子が女性なのはなぜかという件。神宮球場は昔、男性が売っていたらしいのだが、

ひとりの若い女性を試しに採用したところ、連日トップの売り上げを記録。間もなく全員女性になった。
(p.45)

看板娘なんて、昔からある枯れた作戦なんですけどね。もちろんここで重要なのは、同一労働とは何だということ。倍の売り上げなのに同じ賃金でいいのかという話が出てくる。それが性別だけで決まってしまう。

驚愕したのが研修期間詐欺。これって、本当にあるのかな。あるのなら、報道されて炎上してもおかしくないような話なのだが。

店員の高校生が店先にへたり込んですすり泣く事件があり、常連客が話を聞いたところ、店員が3ヶ月足らずで次々に辞めさせられていることがわかった。
(p.55)

研修期間は時給が安いということを悪用して、どんどん採用して研修期間内にクビにするらしい。

交通費の話はこの前ラジオでとある芸人が、交通費自腹なので結局持ち出しになるという話をしていた。この本の場合は、

日給は一律8000円で通勤費の支給は400円が上限
(p.64)

これで実際の電車代が往復2000円かかるので、実質6400円にしかならない。確かに目減りしたが、持ち出しにならなくてよかった感じがする。ていうか、普通は持ち出しになるならわざわざ働かない。しかし芸人の場合は呼ばれてナンボの世界なので、行かないわけにいかないという辛さがあるという。上には上、いや、下には下がいるのだ。

キツい話ばかりではなく、こんな意外なネタもある。ネカフェ人。本に出てくる人は居酒屋のヘルプで日雇いの仕事なのだが、

1日働くと賃金は1万円以上、ネットカフェの逗留費の他に、支出は食費とスマホ代だけだから、金銭的に追い詰められてはいない。
(p.94)

割と楽しい毎日らしい。ホームレスといえばそうなのだが、昔だと河原乞食…というのは失礼かもしれないが。河原乞食も大変なのかもしれないけど、家はないけど気軽な生活って人生としてどうなんだろ。悪くはないような気もする。病気になったらどうするの、という人もいそうだが、そういう人達は、病気になったら死ぬだけのこと、と考えているかもしれない。

第六章「効率悪くてあたりまえ」では労働生産性の問題を取り上げている。ここで興味深いのは、OECDが戦犯だという指摘だ。OECDとは経済協力開発機構のこと。センター試験に出そうだな。この本は、まず1996年に OECDが次のように提言したことを指摘する。

長期雇用や年功賃金制度などの日本の雇用慣行は、市場の資源配分機能を生かしていない。雇用が安定していれば労働者は転職する必要に迫られないので、勤勉に働き技術を習得する動機が弱まる。
(p.103)

この箇所だけでも、ハァ、何言ってるの? みたいな不審な匂いがプンプンするのだが、とにかく、具体的に何をすればいいかは、

具体的には民間職業紹介と労働者派遣事業を拡大することと、正社員の解雇に関する基準を緩和すること
(p.104)

このように提言したそうだ。その結果、正規は減り派遣は増えた。ただし、正社員の解雇に関する基準は反対が強く、あまり変わらなかったようである。おそらく採用数を減らす方向で調整したのだろう。その結果どうなったのかは 2016年の OECD のテレビ出演の内容が面白い。

日本の50代、60代の中高年は、労働生産性が高い他の先進国=スウェーデンデンマークの同世代と比べて最も能力が高いと指摘。
(p.110)

この50代、60代というのは、今から20年前は30代、40代。つまり、

OECDが切り捨てた終身雇用一辺倒の世界で育てられた最後の世代
(p.110)

だという。切り捨てろと提言した世代が長期的には労働生産性を高める役割を果たしていたことが分かったのだ。しかし、これから20年間の50代、60代が減っていく時代はどうなるのだろう。

驚いたことに、現在、OECDは日本が企業単位で正社員教育に力を入れてきたことを高く評価しているという。
(p.110-111)

確かにそれは驚きである。これから20年間は、そのような正社員が激減していく。これは別のラジオ番組で聞いたのだが、技術を持っている社員が定年退職していなくなり困る企業が増えているという。派遣に頼ったために正社員が不足し、その結果、世代間の技術継承ができなくなってきているという。そんな日本の未来は…ウォウウォウ、面白そうだ。

この本の後半は、個人的には特に興味深い問題も出てこないようだが、小ネタは面白い。とはいっても、どこかで聞いたような話が多い。例えばにぎり寿司のシャリを食べない人の話。

「そんなにシャリが嫌いでしたら、お造りもありますが……」と言うと、「気を使わなくていいのよ。私たちは気にしてないから」とさわやかに応えていた。
(p.122)

こういう話を見ると、日本人が百年後に滅んでいても私は別に不思議だとは思わない。私の世代は、米粒を残したらぶん殴られたものだ。今は親といえども子供をぶん殴ったら警察が飛んできて逮捕する。余談だが、先日、とある寿司系の居酒屋に行ったら昼メニューの丼物しかおしながきに出てなかったのだが、私は一杯飲んで刺身でもつまみたい気分だったので、これをメシ抜きにして刺身だけで出せるか訊ねてみたら、当たり前のように出してくれた。そういえば丼物の白飯抜きは業界用語では(かしら)と言ったはずだ。バイトっぽい店員さんに通じるかどうかは不明だが…実際、新宿あたりの居酒屋だと、業界用語よりも中国語の方が通じそうな気がする。

介護業界のトラブルのニュースはよく見かけるが、

よく報道される、職員による入所者への暴言や虐待より、入所者による職員への暴言や暴力のほうがむしろ多いという。
(p.132)

それは目から鱗的な話だな。確かにそういう噂が広まったら困るのは入所者じゃなくて介護する側だから、報道に出てくるのは一方的になるだろう。これが病院だと、立場としては医師や看護師の方が患者よりも上かもしれないが、いや最近はそうでもないのか。それはそうとして、介護業界はどうなのだろう。入所者の立場は「お客様は神様です」なのだろうか。どうでもいいことが気になってしまう。

最低賃金ネタは最初にも紹介したが、

最低賃金での収入が生活保護費よりも少ない逆転現象は解消されていない。
(p.144)

よく聞く話だが、これは生活保護になると、次のような優遇措置があるためだという。

医療費はゼロ、都民税や個人事業税、固定資産税、都市計画税軽自動車税NHK受信料が減免される。国民年金の保険料納付も免除、上下水道料金が減免、
(p.144)

このあたりまでは知っていたが、

ゴミの指定収集袋の無料支給、都営交通の無料乗車券支給
(p.144)

その特例は知らなかった…。とにかく、このあたりの利益を合算すれば、生活保護世帯の

実質年収は約260万円
(p.145)

で、非正規社員の7割が、

年収200万円未満
(p.145)

という調査結果が出ているから、働いた方が厳しいという計算になるそうだ。私は数字を検証したわけではないが、この件は大勢が同じことを言ってるからそう大きくは外れてないだろう。年収200万円未満あたりは、生活保護と同等の優遇措置をすべきなのではないか。

ちょっと気になったのが、コレ。

ある新聞が、女子高生が教育支援を受けられず高卒でアルバイトになった場合と、大学に進学して就職した場合の生涯賃金を比較した。すると65歳の段階で1億5000万円もの差がついた。
(p.153)

なるほど、ちなみに、高卒で就職した場合と、大学に進学してアルバイトになった場合の比較はどうなのかと気になったのは私だけ?

実は国立私立を問わず低所得家庭の子供は学費免除とする大学はたくさんあり、加えて神奈川大学のように年に100万円程度の奨学金を給付する大学まである。さらに公に発表していなくても、入試の成績がその大学の平均レベルより高い学生は個別に優遇する大学もある。
(p.156)

給付まであるのか。しかし公に発表していないのに、どうやって調べたんだろう。記者の特権発動かな。


東大卒貧困ワーカー
新潮新書
中沢 彰吾 著
ISBN: 978-4106107221