Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ編

いくら何でも毎日雑記だと「いつか読んだ本」じゃないし、そろそろ行くかということで、「ねじまき鳥クロニクル」。第1部。ちなみに一通り読んだけど、正直言ってちょっといまいち感がある。リアルでもないしファンタジーでもない中途半端な感じ。出てくる人はそれなりに不自然なのだが、何となく煮え切らない。

ひとりの人間が、他のひとりの人間について十全に理解するというのは果して可能なことなのだろうか。
(p.53)

不可能に決まっている。少なくとも私の場合は自明である。自分のことすら十全に理解できないのに、なぜ他人を理解できる可能性があるのか。あり得ない。もちろん論理的には自分は分からないが他人なら分かるという可能性は残されている。カウンセラーは判断を誤るので身内のカウンセリングはしないというが、近い所ほど見えない可能性は確かにあるかもしれない。

この小説、出てくる人達の思想は基本的におかしい。

人間が平等であるというのは、学校で建前として教えられるだけのことであって、そんなものはただの寝言だ。日本という国は構造的には民主主義国家ではあるけれど、同時にそれは熾烈な弱肉強食の階級社会であり、エリートにならなければ、この国で生きている意味などほとんど何もない。
(pp.159-160)

主人公の義父がそのように話す。日本国憲法第14条には「すべて国民は、法の下に平等であつて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地により、政治的、経済的又は社会的関係において、差別されない。」と定められている。ここから二つの現実が即座に理解できるはずだ。まず、わざわざこのようなことを書く位なのだから、実際は日本は国民がどこか平等でない社会なのであろう。もう一つは、法の下の平等には条件が絞られていて、人種、信条、性別、社会的身分又は門地、という縛りがある。学力や身体能力、コミュニケーション能力やスルー力で差別しても憲法には違反しない。さらに、それがどういう意味を持つのはよく分からないが、政治的、経済的又は社会的関係、これ以外の関係については差別されるかもしれないのだ。

アクの強いキャラはたくさん出てくる。ていうかそれしか出てこないような気もするが、加納クレタはその一人だ。

痛みのない生活――それは私が長いあいだ夢見てきたものでした。しかしそれが実際に実現してみると、私はその新しい無痛の生活の中にうまく自分の居場所をみつけることができませんでした。
(p.219)

体中が痛くなるという奇病にかかっていた加納クレタは、自殺に失敗する。そして、その時を境に一切の痛みが消えてしまう。しかもその反動で、こんどは無感覚になってしまう。痛みというのも慣れてしまえば我慢できるようになってしまうものだが、何も感じないというのは、それはそれでイヤなのは分かる。

個人的にこの小説でキーマンだと思うのが笠原メイ。女性だからキーウーマンなのか。どこかおかしいというよりも、全部おかしい。笠原メイは、主人公を「ねじまき鳥さん」と呼んでいるのだが、そのねじまき鳥さんとハゲを数えるという奇天烈なバイトをする。

「うめうめたけまつたけうめ」
(p.246)

髪密度をカウントしているのだが、このようなバイトは実在するのだろうか。そういえば道路の横に座って何かカウントしている人を見ることはあるが、あれは何をカウントしているのか考えてみれば定かではない。

でもいくらやめようと思っても、勢いのようなものがついてしまって、やめることができないのだ。
(p.247)

それはプロー状態って奴ですな。そういうことはよくある。禿同だ。何かしんどくなってきたので続きは多分明日。


ねじまき鳥クロニクル〈第1部〉泥棒かささぎ
村上 春樹 著
新潮文庫
ISBN: 978-4101001418