Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

ほむら

便利な世の中になって、ググれば大抵のことは大体分かるから、婆子焼庵とは何だみたいな説明は面倒だからしない。オリジナルの公案に興味があれば、ググってもよし、禅の本でも買ってくるのもいいと思う。あまりにも不親切とか言われてもどうってことはないが、念の為ざっくり書いておくとすれば、婆さんがクソ坊主の庵を焼いてしまう話だ。別に焼き殺したわけではないから心配しなくていい。ちゃんと追い出してから火を付けている。

小説では、婆さんは「媼」(おうな)と表現されている。媼の他に、“まよ”という奉公の娘がいる。この娘が公案に出てくる坊主を誘惑する役になる。媼は一筋縄ではいかない。まよが大根の料理をうまく作れないと、

「まよは大根に泣かされたかの」
(p.10)

とかいう。こんな話はもちろん婆子焼庵の原文には出てこない。あの公案から大根が出てくるというのが面白い。公案では問題のシーンとなる、娘が坊主に抱きつくところの僧のセリフ。

若いころ煩悩に苦しみ続けた我が身も、歳月かけて御供養いただき意志に籠った甲斐あって、遂に色情を不惑にまで干し上げました。
(p.25)

なかなか穏やかで、やんわりと断っている。オリジナルは「枯木倚寒厳 三冬無暖気」だから、実につれない。最近何となく性犯罪のニュースが多いような気がするが、人間すべて坊主になれば、世の中平和になりそうだ。誰も子供を作らないと人類絶滅するけど、それはそれで平和ということか。

この小説には公案の答は出てこない。どう答えたら焼かれずに済んだかは、自分で考えるしかない。考えるだけでも脳は活性化します。ところでググってみたら、なぜか独善的なのが良くない、みたいな結論が多い。個人的には全然違う的外れな解釈と思うのだが、まあどうでもいいことだ。

文庫本には8作品が掲載されている。いずれも単純な話ではない。第八戒はおげんさんというキリシタンでない女性が、なぜか絵を踏まなかったためキリシタンとして処刑されてしまう話。関係ないが、おげんさんと書いたらどうも星野源さんが頭に浮かんでしまうのは、もうどうにもならないか。おげんはキリシタンになれば幸せになれると思っていたが、拷問で子供を殺されてしまった信者が平然とするのを見て何か違うのではないかと思い始める。

どうやら自分が考えつくような心の動きは切支丹の牢内では無いらしい
(p.180)

では心の動きというのは何なのか。それがこの話のテーマだろう。

最後の作品「石の庭」は戯曲。

名を残しては石の庭の値打が下がるということが、お前にはどうして分からないのだ。
(p.253)

一般には名を残すというのは多くの人にとって究極の目標なのだろう。でもないか。いずれにせよ、この話は、無名の作者の名前が入っていたらかえって価値が下がるとか、そんな小さなことを言っているのではない。庭師になぜ名を残したいと思わないかと問われて、

残した名は墓石に刻まれた戒名と同じ
(p.244)

と答えるのはなかなか面白いと思う。


ほむら
有吉 佐和子 著
文春文庫
ISBN:9784167902544