Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

受験は要領

今は大きな書店に行くと、受験のノウハウを記した本、いわゆる受験本が何百冊も置いてあるのだが、昔はそんなことはなかった。パイオニアといわれているのが、和田秀樹氏の書いたこの本、「受験は要領」である。1987年に出たものをベースに書かれた改訂版が今回紹介する本だ。総論としては妥当な内容であるが、各論としてはいろいろ異議もあるので今回は突っ込みメインで評する。

全体をザックリまとめると、受験は考えて発想してひらめいて才能でクリアする…のではなくて、作業で機械的にやっちゃえ的なノリ。大学の入試問題はパターン認識で解けるよ、という主張はその他大勢が述べているし、個人的にも基本的に同感だ。

その中で、ながら勉強は厳禁と主張している。まずここに突っ込みたい。音楽を聴きながら勉強するのはどうよ、という質問は Yahoo!知恵袋でも FAQ なのだが、和田さんは否定派だ。

じつは、かくいう私も、高校二年生まではこの「ながら族」で、ラジオを聞いたり、好きな音楽を流したりしながら机に向かっていたが、その結果、絶望的な劣等生になってしまった。
(pp.71 - 72)

実は私は高校三年生までとそのあともずっとこの「ながら族」で、ラジオを聞いたり好きな音楽を流したりしながら机に向かっていたし、今も向かっているのだが、その結果、現役で第一志望の大学に合格して「何でオマエが…」みたいな言われ方をしたような気がするのだが、本当にその「ながら」で成績が落ちるのかというと、そんなことはないという生き証人が自分自身なのでここは力一杯否定できる。音楽を聞きながらでも合格する人はするのだから、原因は別にあるんじゃないのか。

ところで、和田氏は他でこのようなことも書いている。

意外なようだが、喫茶店という雑音の多い環境が、集中力を生むこともあるのだ。
(p.90)

つまり、音楽を流しながらは NG だけど、喫茶店のような雑音の多い環境OK だというのだ。とても脳科学が分かっている人の主張とは思えないのだが、おそらくこういうことだろう。喫茶店の雑音は脳で理解・認識するわけではなく、無視しようとするから、無視するというプロセスにより集中力が高まる。これに対して、音楽を流しながらの勉強は、音楽を認識することに意識を集中させてしまうため、勉強に集中できない。

だったら、音楽やラジオももスルーすればいいだけの話なのでは?

人間は1つのことにしか集中できないようにできている。だから読書に熱中しているとアナウンスを聞き逃して電車を乗り過ごしてしまう。音楽に集中していたら勉強できないのは当たり前だ。しかし、勉強に集中していたら音楽が流れていても脳には届かない。少なくとも大脳の集中処理装置には届いていない。要するに、和田さんは高二までは勉強のやる気がなかったためにラジオに集中していたのではないか。

とはいっても、音楽やラジオがない方がより集中できるんじゃないの、という疑問はあるだろう。もっともだが、あなたの生活環境に、無音になれる場所はあるか? あればいいのだが、私の場合は無音は難しかった。自分の部屋にいても、リビングの音とか聞こえてくる。音楽やラジオより、そのような音の方が気になってしまう。音楽は、そのようなノイズを打ち消す効果がある。突発的で不規則な生活音よりも、リピって音楽を流した方が無視しやすいのだ。

さて、話を戻すと、和田氏の必殺技は、今では定番の「解法暗記」である。悩んで大きくなったり考えて解くのではなく、解き方を憶えてしまう。実はこんなのは和田氏が本に書く前からあった技なのだけど、ネットを見ると、未だにこれが理解できない人が結構いることに驚く。つまり、解法と解答が区別できないのである。

余談だけど、ネットでは解法暗記が全く役に立たなかった、入試で不合格になったという人を見かけることがある。和田さんも不思議だとどこかで書いていたのだが、私も猛烈に不思議に思う。もちろん、解法を暗記できなかったから結果に結びつかないという話なら分かる。そりゃダメに決まっている。

しかし、和田式をやった、具体的にいえば数学のチャート式の数千の問題に対応する解法を殆ど暗記した状態で、入試問題が解けないなんてことが本当に有り得るのか?

二つ可能性があると思っている。一つは、実は暗記していない場合。個人的にはこちらじゃないかと思う。暗記したその日は覚えているけど、次の日には忘れている、みたいなパターンだ。当然、入試本番では忘れているから解けない。これはダメだったという人に覚えている解法を全部書いてもらえば検証できるのだが、残念ながら、そのような検証データは見たことがない。

もう一つの可能性は、解法ではなく解答を暗記していた場合である。つまり、意味が分からないけど解答を丸暗記した場合だ。

解法は問題の解き方のことである。解答ではない。解答は説明するまでもなく、答そのものだ。

解答を暗記しても、入試では全く同じ問題が出ることは稀である。見たことがない問題の解答は覚えてないから、解き方を暗記していないと、当然解けない。

しかし、解法ではなく解答を数千も暗記できるものなのだろうか? 人間は基本的に理解できないことは記憶できない。だから電話番号のような無意味な数字は、人名などにリンクすることで意味を付ける。03は東京、090は携帯電話、のような意味も付ける。歴史の年号のようなものは語呂合わせのような邪道に頼ったりする。そうやって、強引に意味に紐付けるのだ。解答を解法レベルではなく解答として暗記できるというのは、私には超人的な能力に思える。そんなことが本当に人間にできるとは思えないのだが。

話を戻すと、解法を暗記している場合どうなるか。これなら入試で初めての問題が出てきても解ける。計算が全くダメみたいな場合は別として、解き方を知っているのだから解けるのは一見当たり前だ。

そこで、問題集の使い方は、和田さんによれば、こうなっている。

問題集は解くためにあるのではない。解かずにすぐ答えを見て、憶えるためにあるのだ。
(p.109)

断言するのもアレだと思うけど、ここに関しては最近の和田さんは考え方を変えていて、確か、5分考えてから答を見ることを推奨していたと思う。5分というのはその他大勢の人が主張している。解答をすぐに見るのは、先日紹介した「偏差値29からの東大合格」の杉山奈津子さんが主張しているが、トレンドではない。少し考えてから答を見るのは、その方が暗記が定着しやすいから、というのが定説だ。

ここまでが伏線である。次の異議アリは、問題集の乗り換え案内。

よく、一度暗記してしまうと、同じジャンルの新しい問題集に乗り換える人がいる。本人は情報の幅を広げようとしているのだろうが、私から見れば、これは時間のムダ意外の何ものでもない。まったく新しいことを不正確に憶えるために苦労するよりは、いまある記憶をより確実にするほうが、実際の入試では、はるかに実践的だ。」 (p.118)

この後数学のチャート式の話が出てくるから、ここは数学の話と想定していいはずである。「暗記」と言っているのはもちろん解法暗記のことである。

解法を暗記したかどうかを確認する最もよい方法は、同じ解法で解ける別の問題を解いてみることだ。同じ問題だと、解法を暗記したつもりで解答を覚えてしまっているかもしれない。だからチャート式の場合、例題の後に同じ解法で解ける別問題が練習問題として配置されている。

解法暗記は万能か。実はそれだけではまだ足りない。入試で初めて見る問題は、どの解法を使えば解けるのか判断できないと解けないのである。つまり、問題を見て解法を選択する能力も重要だ。

この能力は、1つの問題集に拘るよりも、いろんな問題集にあたって、同じ解法で解く問題を経験した方が、効率的に高められるのではないか。というのが私の意見だ。チャート式だけやり尽くしたら他の問題も全部解けるような人はむしろレアではないだろうか。もちろん、解法も暗記できていないのに他の問題集に手を出すのは論外だ。しかし、解法が暗記できているのなら、あるいは、暗記しようとしているのなら、同じ解法を使う多種の問題に触れる方が、1つの問題に拘るよりも、はるかに実践的だと思う。

さて、次の異議は予習である。和田さんは予習否定派のようだ。

もし、君が授業のまえにいつも予習しているのなら、今日から予習はやめてしまい、貴重な時間を復習のために使うことをおすすめする。受験生にとっては、予習は時間がかかり過ぎ、暗記の貯金にもならない。
(p.146)

この項は「三時間の予習より三〇分の復習のほうが、はるかに暗記量を増やす」というタイトルが付いているが、その根拠が非常に偏っていて非合理的な気もするのだが、そこは今回はザックリとスルーする。興味があれば原文を見てください。私の反撃したいのはそこではないのだ。

3時間予習するから時間がなくなるのである。そもそも予習と復習を比較するのなら30分の予習と30分の復習、どちらがいいかという話にしないとアンフェアだと思うのだが、実は予習は3分でいい。教科書をざっと見ておいて、分からないところに腺でも引いておく。それだけでいい。もしそうなると、問題はコロっとすりかわって、

3分の予習と30分の復習

という話になるわけだが、この3分の予習が、暗記量を劇的に増やす効果がある、というのが私の主張である。このネタは「テストの花道」でも紹介されているから原理は説明しないが、予習で1回チラ見したものが授業で繰り返されると暗記にプラスの効果があることは、心理学を少し知っている人なら説明しなくても分かるだろう。

ところで、和田さんは授業に集中してノート取る派のようだ。灘高のようなウルトラハイレベルの授業ならそれで入試対応できるのは当然だが、偏差値50の高校でもそうなのか、というのは読む人が疑惑を持っていた方がいいかもしれない。

最近はノート取らない派の人もいるという。後で書くとか。私はどちらかというとノート取る派だったけど、和田さんのノートの取り方、ていうかノートを取る目的は、

しっかりと読み返し、内容を覚えることだ。
(p.150)

だという。私の場合は、ノートは「憶えたということを確認する」ために書いていた。つまり、ノートに書く前に憶えるというやり方である。書くことで暗記する、でもいい。書いた時点で頭に入っているから、その後は殆ど見直さない。まあでもこれはやり方の問題で、どっちでも結果が同じなら構わないと思う。

次は揚げ足取り(笑)。数学の問題を解くことについて。

一〇〇〇題近くもある問題を、いちいち自力で解いていたらいくら時間があっても足りない。かりに、全部で二〇〇〇題の問題を自力で解くとしたら、毎日、一日五題解くとしても、一年以上かかることになる。
(p.175)

2000÷5 = 400 日だから、確かに1年以上かかりますな。でも400日で終わるでしょ。いくら時間があっても足りないという最初の主張を自分で否定している自己矛盾。たった400日だよ。実は私は赤チャートを全部自力で解こうとした。解答を見ないで解いたのだ。どうしても解けないのが数問あったと思うが、そんなものだ。だから、誰でもできるとはいわないが、入試までの時間内で解ける可能性があることは自分自身で証明したことになる。ちなみに、赤チャートだけでなく、他の問題集も解いたし学校指定の問題集も解いてZ会までやってた。ソレ位なら現役でもやる時間はあったのだ。浪人してもいいのなら、もっと時間はたっぷりあるだろう。

ま、揚げ足取りは不毛なので、多少は毛のある話をしておくと、例えばチャート式なら、例題を模範解答を見て解いた後、次の練習問題を自力で解くという方法もある。自力といっても解法は既知だから、簡単に解けないとおかしい。前述したように5分考えてみる手もある。解けるのなら自力で解いてしまえばいいし、解けなかったら解答を見ればいい。これなら時間もかなり短縮できるだろう。

最後に、入試本番であがったときの対応なのだが、

私は試験会場で可愛い女の子を探すことで自分を落ち着かせた。
(p.249)

発見しちゃったら、何かかえって興奮しそうな気がしますけど。ていうか灘高だからできる裏技じゃないのか。私は共学だったので…とはいっても、ルーティンを作るというのは別に悪くはないと思うし、それが自分のやりたいことなら何でも構わない。ただし、試験が始まった後は、あまりキョロキョロすると余計なことを疑われるので危険かもしれない。

さて、だいたい反論を力説したいのは、この程度のものである。この本にはおそらく100を超えるメソッドが出てくるが、その殆どは私も同感というか、古くからトップ進学校では普通に実践されてきた定番なので、参考にしていいだろう。ただ、和田氏はその後、多数の本を書いている。具体的な勉強法を知りたいのなら、この本よりも、受験の種類や現状に応じたやり方を細かく書いた本があるから、そのような本を選んだ方がいいと思う。



難関大学も恐くない 受験は要領―たとえば、数学は解かずに解答を暗記せよ
和田秀樹
PHP文庫
ISBN: 978-4569577173