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Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

学歴と格差・不平等

日本は学歴社会だろうか。この問いに答えるためには、学歴社会とは何かを明確にする必要がある。学歴社会の一般的な意味としては、次のような定義がある。

人間の社会的地位や収入、さらには人物の評価までが学歴によって決められる社会
(広辞苑)

今の日本で社会的地位や収入が学歴によって固定されているわけではない。中卒でも国会議員になれるし選挙権もある。大卒よりも高収入の人だって大勢いる。医師のような高度に専門的な能力が必要な一部の職業を除けば、学歴に関わらずどのような職業にも就け、社会的な地位を得ることができる。

学問的な厳密な意味としては、次のように定義されている。

そもそも学歴社会とは、厳密な意味では、卒業した学校によって将来が決まってしまうという学歴メリトクラシー(学歴が有効な判断基準となる制度)、学歴クレデンシャリズム(学卒資格至上主義)が重要な意味・作用を持つ社会であるとされてきた。
(pp.20-21)

しかし、大卒が高卒以下の学歴よりも高く評価されているという現実がある。大学を出たら必ず就職できる保証はない。それだけでも今の日本は厳密な意味での学歴社会とはいえないのだが、日本には新卒採用という独特の就職支援制度があるし、学歴フィルターという謎のシステムが存在し、一流企業に入るには一流大学を卒業すれば有利になるのも事実である。

このような社会に関して、この本には「学歴主義の社会」という表現が出てくる。

第二は、日本社会は学歴によって職業的地位が決まるという傾向を強くもつ学歴主義の社会ではあるのだが、その度合いは他の先進工業国と比べて突出しているわけではないということである。
(p.132-133)

基本的に日本人は学歴が好きだ。既に大学進学率の増加傾向は頭打ちになっており、高学歴化の傾向は見られなくなっているが、昔のような大学は学者になりたい人か金持ちの道楽だ、といわれていた時代から考えると、同世代の半数以上が大学に進学するというのは異常である。なぜこのような社会になったのか。次のような仮説が出てくる。

日本社会の高学歴化は、家計の経済的な負担の軽重を度外視した(主として親の側の)向学心、あるいは大衆的なメリトクラシーへの信頼によって成立してきたとみるのが有力な考え方である。
(p.118)

ネットでは生活保護でも大学に行かせたいという話題で盛り上がる。生活に困るような状況で、働いてお金を得るよりも学業を優先するという考えには、米百俵にも通じるところがあるのかもしれない。勉強して偉い人になる、お金持ちになる、という考え方根強いのかもしれない。

しかし、それはいろんな理由があって簡単ではない。具体的な理由は省略するが、この本は、その結果として高卒と大卒の間に壁があると主張している。

こんにちのあらゆる格差・不平等について、多くの要因が関与する構造があるなかで、もっとも影響力のある明確な境界線をひとつだけ挙げるとすれば、それは大卒/非大卒間の学歴境界線であると本書は主張しているのである。
(pp.252-253)

この本が書かれたのは2006年で、今はさらに少子化が進み、前述したような大卒・高卒の賃金が逆転するようなケースも見られるようになってきたが、これは大卒/非大卒という区切りを、ある程度のレベルの以上の大卒、のように絞ればいいだけなので、本質的な問題ではない。先日の書評でも述べたように、社会が大卒を評価するのは、その人が努力した、勉強したという事実を認めた結果なのだから、勉強しなくても入れる大学が出現すれば、大卒だというだけの理由で評価されないのは当然であろう。

ただ、この本はそれを指摘しているだけで、是非を主張しているわけではない。それは読む人が考えるべきことなのだ。



学歴と格差・不平等
吉川徹 著
東京大学出版会
ISBN: 978-4130501668