Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

もの忘れの脳科学

もの忘れはなぜ起こるのか。現時点の認知心理学では主流になっているワーキングメモリという考え方を使って、もの忘れについて説明した本。全く何も知らないとちょっと難しいかもしれないが、心理学を少しかじった経験がある人なら、満員電車の中で暇つぶしに読めるレベル。

実はこの本、2つ目的があって読んだ。1つ目は、記憶は寝ている間に定着する、という説。これに関しては何も書いてなかった。

もう1つは、短期記憶の時間。とある本に、短期記憶は数時間とか1日程度で消える、みたいなことが書いてあったのだ。そんなに長いわけないだろ、と思ったのである。私が心理学の講義で聞いたときは、たかだか数秒とか、そういうものだったから。この本、最初の方でまず長期記憶について説明した後、次のように書いてあった。

一方、短期記憶は短期間の一時的な情報保持の貯蔵庫であり、保持できる期間には限界がある。そのため、繰り返しその内容を反復する「リハーサル」が行われない場合には、ほぼ20秒間にその90%が忘却されると考えられている。
(p.26)

これは私の記憶に近い内容である。もっとも、これは二重記憶モデルにおける短期記憶の説明で、その後出てくるパドリーのモデルエピソードバッファのようなものが出てくると、どこでどれだけ記憶が維持されるのか、この本だけではハッキリしない。ただ、流れとして数時間というのは有り得ないような気もするが。

この本の前半には、リーディングスパンテストと、リスニングスパンテストという、2種類の実験が出てくる。これは文章をどんどん読ませて、あるいは聞かせて、その中に出てくる単語を答えさせるというものだ。いくつか文を読んでいるうちに、最初に読んだ文の内容を忘れてしまう、というのは読書あるあるですよね。

テレビのクイズのようなテンパった状況だと、2番目にもらったヒントに飛びついた人が最初のヒントを無視して回答することがある。「ヒント1、植物です」「ひまわり?」「違います。ではヒント2、桃色です」「フラミンゴ」みたいな。うっかりというよりも、頭に何も残ってないのではないかと思うけど、ここで最初にもらったヒントがどこかに行ってしまう理由が、ワーキングメモリの容量は少ないので、最初に入れた情報がどんどん上書きされてしまう、というような話なのである。

この本で面白いと思ったのが、読解力。読解力というのはもちろん、本を読んで書いてあることを…というような話はおいといて、

大学生50名のスパン得点と読解力テストの成績とを比較したところ、両者の得点には統計的に有意な相関が認められた。
(p.61)

というから、ワーキングメモリが大きい人の方がいろいろ覚えてられるから読解力も高いのではないか、と思うでしょ?

これが違うのだ。リーディングスパンテストの後、「ところでこの単語はテストの文章にありましたか」といった質問をすると、

実際にあった文や単語を「あった」と正しく答える割合(再認成績)は、低得点群の人たちが高得点群よりも高かった。
(p.65)

というのである。つまり、暗記という点でいえば、リーディングスパンテストの成績が低い人、つまり、読解力がない人の方が、暗記力が優れていたのである。これは次のような解釈になっている。

しかし、低得点群は、内容の理解とは特にかかわりない文章や単語など、多くの内容をそのまま記憶していたようだ。多くの内容を記憶してしまうと、覚えることにワーキングメモリの / 容量を消費することになり、そのため、内容の理解が不十分になってしまうのだろう。
(pp.65-66)

つまり、覚えなくてもいいようなことまで覚えるから理解できなくなる、というのだ。必要なことだけ覚えた方がメモリは少なくて済む。同じメモリ量なら、重要なことだけ覚えた方が読解には有利だ。言われてみたらそんな気がしてくるでしょ。

同様に、老人になるともの忘れする、あるいは覚えられなくなる。これは記憶力が弱くなるためというのが定説なのだが、この本ではもう一歩踏み込んで、

高齢者のワーキングメモリの脆弱化が、もの忘れの頻度を高くしている
(p.119)

と分析している。例えば、最初に覚えたことがワーキングメモリに入ったら、次に覚えるときにこれを上書きしないといけない。ところが、老人の場合、最初に覚えたキーワードがなかなか抜けてくれずに、次に覚えるべきことが頭に入らないというのである。忘れようにも覚えていない!

長くなったので端折るが、後半にはワーキングメモリを強化するアイデアとか、ポジティブな言葉の方がワーキングメモリを活性化するとか、面白い話がいくつも出てくる。ポジティブシンキングという言葉も既にありふれた感じだが、まさかそれが記憶に影響するとは思わなかった。奥が深い。

もの忘れの脳科学
苧阪 満里子 著
講談社ブルーバックス
ISBN: 978-4062578745