Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

非録伝

シリーズ6冊目。気が付けば深夜アニメの定番パターンみたいに1人の男に少女(以外もいるけど)が群がっているのが微妙にありきたりなシナリオで気軽に感動してはならないような抵抗感まで芽生える気がしてきたが、何はともあれこれで四国編は完結した。

各話冒頭の余計な一言だが、この巻はどうも感動するのがない。むしろそれ違うやん、とか思ったものが殆どだが、その中で少しハッとしたのが、

夢を追うことは、夢を背負うことである。
夢は思いで、当然、重い。
(p.106)


個人的には、高校生のときの思い出は重いで、という格言【違】が大好きなのだが、実は高校生の頃のことはあまり記憶になくて、中学生の頃の方が鮮烈に頭に残っていたりする。ここでの夢は「思い出」ではなく「思い」だが、それは当然、過去の経験から導出されるもの。覚えてないことは思い出せない。つまり夢は過去の経験によって形成される、と考えるとそれはAI的な発想とリンクしてる。

ちなみに、この巻で大絶賛したシーンは、魔女のかんづめちゃんが人類史上最高の空気読めない人間の地濃さんに、「おまえみたいな」のがいるから“かせいじん”は“ちきゅうじん”に負けたと言ったあとに、どういう意味か訊かれてこの返事。

あほはつよいし、こわいちゅういみや。
(p.237)


ちなみに私はアホなので、あほにされてもダメージがない。まあどうでもいいけど、あほは怖いというのはある意味真理だよ。理性も論理も何も通用しないからね。自分でも怖い。

ところで、この四国編を読んでいてふと心に浮かんだのが、ラノベでもSFでもファンタジーでもなく、五味康祐さんの伝説の未完の大作、柳生武芸帳。時代小説である。詳細の紹介はまたの機会として、サラッとまとめると、柳生宗矩率いる幕府側のチームと山田浮月斎率いる反体制派のチームが武力衝突する話。出てくる剣士がそれぞれ有り得ない必殺技を持っているのだが、その剣士たちが次々と死ぬ。しかも味方に殺されたり敵と一時休戦したりで、どこかで見たようなストーリーでしょ。探せばもっと古典で似たような話もあるかもしれないが、味方殺しという属性で連想してしまったのかな。

ところで、個人的には基本的に西尾さんの作品は推理小説だと思っている。謎解きだ。だから、最後にどんでん返しが必ずある前提で、これはどうなるのか想像しながら読んでしまう。四国編は、四国が爆破される前提で話が進んでいくのだが、

ばくはつをふせぐほうほうが、いっこだけ、あるかもしれん
(p.294)


魔女のかんづめちゃんの話は全部ひらがななのだ。もしかしたら、その方法を探るヒントはこのすぐ後のセリフにあるような気がした。というのは再読してからのことなのだが、ここを最初に読んだときに、もちろん考えた。私の案としては、四国を無くしてしまえばいいと思った。四国を爆破しろという命令なのだから、四国が消滅すれば爆破することができない。あるいは四国を入れ替えてしまえばいい。x島(xには入れても社会問題にならないような漢字を適当に入れてください)程度の小さな島を四国と呼ぶことにして、今の四国は元四国とでも呼ぶことにすればいい。1日で消費税が変更できる政治力があるのだから、それ位はできるだろう。実際、

……まあ、『慈悲』よりも先に、四国を海に沈めてしまうという手は、あるかもしれないね。
(p.317)

みたいなセリフも出てくる。言い忘れたが慈悲というのはロボットにして地球を破壊する規模の爆破もできる究極破壊兵器の名前。化物語にも似たような発想の話があったような気もするが、結果的にはこの予想は大外れでネタバレでも何でもない。

停止命令を出せば爆破を防げるのかという案についても却下されてしまうのだが、この時の慈悲ちゃんのお言葉が意味深。

自分で決めた通りに生きている人間なんて、いるのですか?
(p.323)


ロボットなのに禅の達人みたいなことを言う。小説としては当たり前のパターンなのかもしれないが、出てくる魔法少女たちの発想が滅茶苦茶なのに唯一のアンドロイドでロボットが一番人間臭いことを言っているから面白い。

非録伝
西尾維新
講談社
ISBN 978-4062990448