Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

京都府警あやかし課の事件簿

今日の本は天花寺(てんげいじ)さやかさんの「京都府警あやかし課の事件簿」です。もののけが結構出てきます。1巻には、4つの短編が入っています。

主人公は古賀大(まさる)、女性です。しかし刀を持ち歩いています(笑)。これが京都府警の「あやかし課」、正式名称は「人外特別警戒隊」に配属されて、霊力を使ってあやかしを取り締まる、という世界観で話が進んでいきます。

作品中には京都特有の方言が多々出てきますが、伝統的な舞子はん言葉の京都弁ではなく、最近の京都で使われている表現と思われます。例えば、あやかし課の所長の深津が大に言うセリフが、

「せやで。これから、自分も携わるやつな」
(p.13)

この「自分」は you という意味です。標準語の「あなた」ですね。関西では相手のことを「自分」ということがよくあります。相手の立場になって物事を考えるわけです。てな感じです。

実在の場所もたくさん出てくるので、土地勘があれば面白いのですが、土地勘がない人だとどうなんでしょうね。「天気の子」を観たときに、個人的には新宿や池袋の様子が見覚えがあったので楽しかったですが、何かそれを思い出しました。1作目の「雷のエースと魔除けの子」は、同志社の詩人サークルが出てきます。メインゲストの真穂子はこのサークルの新入生なのですが、

切磋琢磨の反面、他人の才能を見て自分の実力の無さを思い知る
(p.69)

ということでかなりヘコんでいて、詩を書かないとか言い出して事件になるわけですね。こういうヘンなサークルは実在しそうで面白いです。新京極で騒ぎになるシーンがありますが、新京極って皆さんは分かりますかね。私は分かっているつもりでしたが、先日行ったら雰囲気そのままなのに知らない店ばかりなのにオドロキました。知ってる店がない! まあ30年経てば変わるのは当たり前…といっても京都で30年は誤差の範囲内なのでしょうけど、とにかく雰囲気そのままって何?

個人的に気に入ったのは2作目の「先斗町・命盛寺の伝説」です。鎮魂会というイベントの話なのですが、

何せ、食べても食べても料理が来るのである。それを、食べなければならないのである。
(p.144)

フードファイトみたいなものですね。ギャル曽根さんとか呼んであげたいです。何で食いまくるイベントに鎮魂会という名前が付くのか、というのは小説に出てきますが、なかなか批判的というか、食品ロスはダメだよね的な話です。そういえば、まむし酒を注文しただけで飲まない、というのは何かのニュースで見たような記憶がありますが、気のせいでしょうか。


京都府警あやかし課の事件簿
天花寺 さやか 著
PHP文芸文庫
ISBN: 978-4569768724

軍師の境遇

今日は松本清張さんの「軍師の境遇」。3つの作品が入っています。

最初の作品「軍師の境遇」は黒田勘兵衛のストーリー。官兵衛は牢獄に長期閉じ込められ、人質の子供が殺されてしまう(後で生きていたことが判明)という悲運を背負った人物なので、軍師ネタとしては人気があります。

最初の小ネタは、重臣の会議が錯綜してまとまらない時に、勘兵衛がなかなか出席しないという話。

評議というものは、ああでもない、こうでもないと長い時間にいい合った末、いつか疲労困憊した空気が沈潜する。そのとき、新しくきた人の強い意見が新鮮に思われ、一座を押し切ってしまうことが多い。
(p.24)

病気だと偽って何日も会議を休んだというのです。皆が疲れた頃に出て行って、織田側に付いた方がいいと強引に主張すると、皆もう疲れているので、じゃあそれで行こうという結論になってしまうわけです。官兵衛はその時点でももう使者に出る準備まで終えているというシナリオです。流石は名策士です。

その後、勘兵衛の子供は織田信長に人質として差し出すことになりますが、そこで勘兵衛はこんなことを言います。

知らぬ国に行って父母とはなれて暮らすのも大事な修業だ。
(p.64)

勘兵衛の子供、松寿(しょうじゅ)はまだ十歳。当時のもう一人の名軍師、竹中半兵衛に預けられることになります。まあいろいろトンデモない修業だったようです。

2つ目の短編「逃亡者」は稲富直家という鉄砲名人の話、3つ目の「板元画譜」は蔦重の話です。蔦重とは蔦屋重三郎のことで、江戸時代の版元、今でいう出版社です。TSUTAYA という名前は、蔦重にあやかるという意味も込められているそうですが、その子孫が経営しているわけではありません。

ということで、最後にちょっといい感じの一言を紹介します。

およそ質問ほどその人の実力を率直にみせるものはない。
(p.76)

何を質問するかを聞けば、その人がどんな人間なのか分かるというのです。そういえば面接の最後で「他に何か質問はありますか」というのは定番ですね。


軍師の境遇
角川文庫
松本 清張 著
ISBN: 978-4041227435

巴里マカロンの謎

今日は京都出張で、本など読む時間がない…わけでないが、書く暇あるのかな、雑記にしてしまおうかな、という感じでしたが、どうにか間に合いましたかね、今は走って何とか間に合って乗れた新幹線の中です。本は「巴里マカロンの謎」。

シリーズ最新作と書いてあるので、シリーズ物なんだと思います。登場人物は、お菓子の大好きな小佐内さんと、推理力抜群の小鳩くんです。小山内さんの感性はかなりズレているようで、こんなことを言います。

曲線でできていない生き物がいたら、びっくりすると思う。
(p.18)

いや、むしろズレていないのか。

この本には4つの短編が入っています。全部お菓子が絡んでくるミステリーです。最初の作品「巴里マカロンの謎」は、3つマカロンが乗って来るメニューを注文したら4つ乗っていたというマカロン不思議な話です。

2作目は「紐育チーズケーキの謎」。ニューヨークなんてとても読めません、これ、どんなチーズケーキかというと、レアチーズケーキの、もっとレアな感じらしいです。

「レアチーズケーキは直接加熱しません。ニューヨークチーズケーキは湯煎焼きします」
(p.86)

低温調理に近い感じ? 湯煎だと100℃以下ですね。

3作目が「伯林あげぱんの謎」。ベルリンも読めませんわ。この作品、いきなり小佐内さんが泣き顔で登場します。

小佐内さんの目からは、涙がこぼれていたのだ。頬はわずかに上気し、くちびるは紅を引いたように赤い。
(p.150)

何か悲しいことがあったようです。しかしこれ、アニメ化できそうにないですね。この本の中では、この作品が一番いい感じなので、残念です。

最後が「花府シュークリームの謎」。もうこれ読めないし変換もできませんね。悔しいので書きませんが、デジタル加工した写真って、これからのミステリーでは常識になるのでしょうか。うまくやれば見抜けないようなデータも、今では作れそうです。

最後に、パティシエの古城春臣さんの言葉で閉めましょう。

一番高いハードルを跳べれば、ほかのことは怖くなくなる
(p.15)

しかし、いきなり激突しそうなんですが、立ち直れるのでしょうか。


巴里マカロンの謎
米澤 穂信 著
創元推理文庫
ISBN: 978-4488451110

「原因と結果」の経済学―――データから真実を見抜く思考法

今日の本は、『「原因と結果」の経済学』。「データから真実を見抜く思考法」というサブタイトルが付いている。

合理的な判断には因果関係が欠かせない、それは否定のしようがない真実だから、そこは問題ない。ただ、この本はちょっと考え方がおかしな所もある。何か意図的に印象を偏らせようとしているような気がする。例えば、次の主張はどうだろうか。

「体力があるから学力が高い」というのは、「体力をつけさえすれば、(まったく勉強しなくても)学力を上げることができる」ということである。
(p.002-003)

そうだろうか。「体力があるから学力が高い」という表現は、「体力がある」という条件が学力を高めるための必要条件の一つになっているという解釈も可能だ。つまり、体力も必要だし勉強も必要、という場合に「体力があるから学力が高い」と主張すること自体は間違いではない。実際、体力がないために長時間の勉強に耐えられず、受験勉強の追い込みができない、というケースは普通にあるのだ。

まあ細かいことは抜きにして、

因果関係があるように見えるが、実はそうではない通説を信じて行動してしまうと、期待したような効果が得られないだけではなく、お金や時間まで無駄にしてしまう。
(p.010)

確かに、そのような可能性があるのは事実である。

例えば地球温暖化。世界は二酸化炭素の増加が温暖化の原因であると断定して行動しているようだが、科学的にはそれは証明されていないし、原因ではない可能性もある。もしそれが原因でなければ、二酸化炭素をどんなに削減しても、温暖化は止まらない。それは、二酸化炭素削減が成功したときに、驚きの結果として、明確に分かることになる。

実際、論理的思考ができない人は大勢いる。ネットを見ていると痛烈にそう思うのだが、

たとえば、子どもを有名大学に合格させたという母親が書いた本に「一切子どもにテレビを見せなかった」と書いてあったとしよう。多くの人は、「テレビを見せなかったから学力が高くなったのだ」と思ってしまう。
(pp.046-047)

本当だろうか? 私なら、間違いなくそのような発想はしない。例えば「テレビを見せなかった子供が学力が高くなった事例が一件ある」と解釈するはずだ。当たり前のことではあるが、それができない人が本当に「多くの人」なのだろうか。

いくつか衝撃的な例も紹介されているが、日本のメタボ健診の件については、因果関係以前に、この箇所が気になった。

厚生労働省は、このことを調べるために、約28億円を投じてデータベースを構築した。しかしこのデータベースに不備があり、収集したデータの約2割しか検証できないことが発覚し、大きな問題に発展した。
(p.066)

動かないコンピュータあるある、ですかね。そもそふ28億円なんてコストが一体どこに行ったのかが謎だろう。桜を見るとか見ないとかより、こういう所はもっと追求すべきではないのか。

もう一つ何かもやもや感が残った話が、COLUMN 3 の「受動喫煙は心臓病のリスクを高めるのか」だ。このコラムは、次のことを指摘する内容になっている。

受動喫煙心筋梗塞とのあいだにも因果関係があることが示唆されている。
(p.088)

その理由は、公共の場所を完全禁煙にしたサンタフェ州と、換気装置があれば喫煙可としたブエノスアイレス州の比較データで説明されている。完全禁煙化の後、サンタフェ州心筋梗塞患者数が明らかに減ったのだ。

しかし、両州の喫煙率は変わらなかった。つまり、喫煙者数は変わらない前提で、受動喫煙者数だけが減ったと考えてよい。そして心筋梗塞患者数が減った。この結果に対して、

つまり、たばこを吸っていた当人ではなく、受動喫煙を強いられていた人々の健康状態が改善したと考えられる。
(p.090)

これは因果関係をテーマにした本としては、あまりにもおかしな結論である。

なぜなら、この理屈が成り立つためには、もう一つの条件が必要になるからだ。すなわち、減った心筋梗塞の患者は、全て非喫煙者でなければならないはずだ。しかし、そのことはデータからは分からないのである。非喫煙者だけでなく喫煙者も同様に患者数が減っていたら因果関係は成立しないし、極端かもしれないが、もしかすると、減ったのは受動喫煙を強いられていた非喫煙者ではなく、喫煙者の心筋梗塞患者数かもしれないのだ。

そんなことが論理的に有り得るのかというと、例えば今までは公共の場所で喫煙する喫煙者が、周囲の目とか、非喫煙者からのプレッシャーとかで、ストレス要因になっていて、それが心筋梗塞を引き起こしていた、という仮説はコジツケすぎるだろうか。まあ戯言はともかくとして、このコラムの結論を導く過程に欠陥があることは事実だろう。

第4章、「認可保育所を増やせば母親は就業するのか」について、分析結果が、

保育所定員率と母親の就業率のあいだには因果関係を見出すことができない」という驚くべきもの
(p.106)

と指摘するのだが、こんなもの私にいわせれば、驚くような要素は微塵もない、当たり前である。

だって、そもそも、多くの認可保育所に入るためには、既に母親が就業していること、という条件が必要なのだ。就業していない母親が申請すると「仕事してないんだから入れなくてもいいよね」という理由で、入れてくれないのである。就業済の母親が優先的に入れてもらえるのだ。認可保育所は不足しているから、結果的には、仕事をしていない母親は誰も入れない。

この「仕事をしていないと認可保育所に入れない」「認可保育所に入れないと、仕事ができない」というジレンマは、現実世界では普通に解決している。つまり、まず認可外保育所に入れて仕事を始めてから、認可保育所を申請するのだ。それが普通のやり方である。

だから、保育所定員率は母親の就業率とはあまり関係ないだろう。調べるべき視点がちょっとズレているのではないか。

次の話題は、最低賃金を上げると雇用が減るかという問題について。当たり前だが、最低賃金を上げることで、雇用者が雇うことができなくなるという可能性は高くなる。ないものは払えないという原理が働くからだ。これに対して、

最低賃金の上昇は雇用を減少させない
(p.109)

という分析結果があるのだが、これは、

また、最低賃金の上昇は、ニュージャージー州の企業による価格の上昇をもたらしていることも明らかになった。
(p.109)

と続くので、要するにこのデータの場合は、最低賃金を上げた代わりに製品価格も上がったというオチのようだ。これで製品の市場競争力が低下して売れなくなったら、会社はつぶれてしまう。

私の知る範囲では、東京という最低賃金が徐々に上昇している地域でも、雇用の減少は発生していないと思われる。また、製品価格への転嫁も発生していない。ではどうしているかというと、労働時間を減らしているのである。つまり、8時間の給料が払えないから、6時間で止めてくれないか、という方向に話が行くのだ。そうすれば、最低賃金を守ったままで、賃金は増やさなくて済む。もちろん、労働者の手取りは減る。これは一体誰が望んだ世界なのだろうか?

第5章の「テレビを見せると子どもの学力は下がるのか」では、

幼少期にテレビを見ていた子どもたちは、小学校に入学した後の学力テストの偏差値が 0.02高かった
(p.120)

という結果を紹介している。テレビを見ると成績が落ちるという説があるから、この分析結果は面白い。もっとも、0.02程度なら有意差ではないかもしれないが、少なくとも学力が下がるという結果は否定されたといえるのだろう。これはアメリカの1940年代から1950年代のデータを分析した結果なのだが、テレビにより知識が得られることは明白だから、それで偏差値が上がるというのは理屈としてもあっている。

最近の日本では、若者のテレビ離れの傾向が顕著に出ているそうだから、それがどのような結果をもたらしているか、研究結果があってもよさそうなものだ。

コラム5も実に興味深い。

ノルウェーでは、女性取締役比率が2008年までに40%に満たない企業を解散させるという衝撃的な法律が議会を通過した。
(p.125)

というケースに関して調査・分析したら、

女性取締役比率の上昇は企業価値を低下させる
(p.127)

という結果になったというのだ。ただ、これは女性を取締役にすると企業価値が低下するというわけではなく、短期間でこの法律を守る必要に迫られたために、

経験が浅く、経営者の資質に欠ける女性を無理やり取締役にして急場をしのいだ。このことが企業価値を低下させることにつながったと考えられる。
(p.128)

という推理が紹介されている。これは合理的な解釈の一つであり、単に男女の参加者を同数にすれば解決する問題ではないという当たり前のことが証明されたに過ぎない。

第6章では、

勉強のできる友人に囲まれて高校生活を送っても、自分の子供の学力にはほとんど影響がない
(p.137)

という、またまた驚きの鑑定結果が出ている。とはいえ、個人的にはこれも、勉強しない奴はどこに行ってもしないという、当たり前の結果に過ぎないような気がする。

最後に、第7章の「偏差値の高い大学に行けば収入は上がるのか」では、

卒業後の賃金に統計的に有意な差はなかった
(p.157)

という結果が出ている。これも本では「驚くべきこと」と書いてあるのだが、私見を言わせてもらえば、これも当たり前のことであって、驚く要素など微塵もない。

そもそも、ある人がよく稼ぐというのは、その人が仕事ができるからである。それは、とある大学に入ったから仕事ができる能力を get したというより、仕事ができる人がたまたまその大学に行ったと考えた方が自然だろう。一流大学の卒業生の収入が高いという統計結果はあるが、それは、一流大学に入ったから高収入というのではなく、高収入を得る素質を持った人が一流大学に行く傾向がある、と考えるべきだ。なぜなら、仕事がデキるというような能力を持っているなら、当然受験勉強のような、より低いハードルは楽に超えられるだろうと予想できるからである。だから、同じ能力の人がどの大学に行こうが、収入は変わらないのである。


「原因と結果」の経済学―――データから真実を見抜く思考法
中室牧子 著
津川友介 著
ダイヤモンド社
ISBN: 978-4478039472

卒業ホームラン: 自選短編集・男子編

今日は重松清さんの「卒業ホームラン」。6つの短編が入っている、自選短編集です。先日紹介した「まゆみのマーチ」の男子版です。

1話目の「エビスくん」。なかなかキツい話です。いじめネタはいつでもキツいものですが、さらに難病が入って来るので大変です。

父はゆうこの治療費を稼ぐために、郵便局を辞めて夜勤手当や危険手当の貰える造船所に転職した。
(pp.17-18)

郵便局でも残業ができそうなものだけど、今は残業規制でできないんですかね。お金がないと困るのに残業できないから転職しないといけない…なんてのは、何か社会が間違っていると思います。

ひろしは転校生のエビスくんに超絶いじめられるのですが、

弱い男の子は強い男の子が好きなんや、それくらいわからんのかアホ
(p.102)

それはそれで分からなくもないのですが、本当にエビスくんは強いのか、というのがどうもひっかかりますね。

2話目は本のタイトルにもなっている「卒業ホームラン」です。父親の立場から書かれています。中二の典子という娘がいますが、

なにごとに対してもやる気をなくしてしまった。担任の教師によると、授業中もぼんやりと窓の外を見ているだけで、ひどいときには教科書を開こうとすらしない
(p.116)

ぼんやり外を見るというのは、中学生のときにはありましたね、私の場合。

 努力すれば、必ず報われる?
 わが子にそう言い切れる父親がいたら、会わせてほしい。
(p.118)

じゃあ会いに来なさい。

きっと、とんでもなくずうずうしい男か、笑ってしまうぐらい世間しらずなのかのどちらかだろう。
(p.118)

このような場合は「あるいは、その両方だ」で閉めるのがお約束だと思いますが、この話に出てくる父親は、かなり狭い考えしかできない人間として描かれています。だからこんな子供が育つんですよね。って話ということでいいのかな。

勉強すればぜったいにいい学校に入れる? いい学校に行けば絶対に将来幸せになれる? そんなことないじゃない。
(p.125)

当たり前ですね。幸せかどうかは、本人がどう思うかで100%決まります。勉強も学校も関係ありません。

私がよく例に出すのが人魚姫です。最後に人魚は泡になってしまいます。それは幸せなのかどうか。あるいは、フランダースの犬でネロ少年は最後に月明りに照らされたルーベンスの絵を見て「もう何もいらない」と言って死にます。それは幸せなのか、不幸なのか。

3話目は「さかあがりの神様」。私はさかあがりをサクっとクリアしてしまった派なので、いまいちその大変さが分からないのですが、

でも、できなかったものができるようになるのって、気持ちいいだろ
(p.177)

まあ確かにそうです。しかし、できないままだとどうなんでしょうか。

4話目の「フイッチのイッチ」。性格の不一致による離婚話があって、その子供の転校生がハブられる話なんですが、

当の山野朋美は、そんなことぜんぜん気にしていない。最初からクラスの女子のだれとも話そうとしてないし、だれのほうも見てないんだから、まったく無意味だ。山野朋美がハブラれているのか、逆にあいつが一人でみんなのハブってるのか、よく分からない。
(p.203)

それでいえば、私もハブるというのがどうも分かっていないようです。

残りの2作品、「サマーキャンプへようこそ」は、この親で大丈夫かと物凄い不安の残る話。「また次の春へ」に出てくるモヤシ入りの豚汁は、いつか作ってみたくなる料理です。


卒業ホームラン: 自選短編集・男子編
新潮文庫
重松 清 著
ISBN: 978-4101349282

神さまのいる書店 想い巡りあう秋

今日は三萩せんやさんの「神様のいる書店 想い巡りあう秋」です。これはシリーズ3作目でしょうか、私はこれが初めてなので、他の作品は全く分かっていません。

この作品は「まほろ本」が出てきます。

この世には、生きている本がいてね。魂っていうのは人間だったら肉体に宿るんだけど、ごく稀に、本に宿ってしまう魂があるの
(p.98)

というのがまほろ本。実体は本ですが、ホログラムのように人間の映像として実体化できます。そして、

神さまは、読者と両想いになったまほろ本を、人の身体にしてくれる
(p.208)

電影少女のようですな。

この話は、ナラブとコトハのラブストーリーですが、そちらはサクっと省略して、注目するのは主人公のヨミ。

高三、夏の終わり。ヨミはまだ、進路を決められずにいた。
(p.14)

知恵袋だと叩かれるようなタイミングです。ハヤクキメロ。ヨミは本に関わる仕事をしたいのですが、それって今の時代はちょっと難しいですよね。先生に相談しても、

紙山さん。今は、〝今〟しかないのだから、どうか、後悔しないように頑張ってちょうだいね。
(p.22)

何がいいたいのか微妙に謎ですが、なんとなくツレナイのです。ところで、このヨミ、もちろん本を読むのが趣味なのですが、

本を読み始めた場合、三百ページ程度もあれば速読や飛ばし読みでもしない限り、一冊読むのに軽く一時間程度は飛んでしまうだろう。
(p.45)

速くないですか? 私もたいがい読むのは速い方ですが。そういえば、半沢直樹の1巻読むのは1時間位だったかな。あれは読んでいると止まらなくなるんですよね。白鯨はかなり手強いです。

さて、一言紹介して、今回は終わりにします。

自分で考えることは、とても大切なことである。
(p.40)


神さまのいる書店 想い巡りあう秋
ダ・ヴィンチブックス
三萩 せんや 著
ISBN: 978-4040650876

半沢直樹 2 オレたち花のバブル組

今日は半沢直樹2、東京中央銀行の営業第二部次長に昇進した半沢ですが、銀行が200億円の融資をした伊勢島ホテルが

実は、運用失敗で百二十億円の損失が出ることが確定的となった
(p.9)

ので後始末をしろというストーリーです。いったいどうすれば120億円も溶けるのか。やりかたはたくさんありそうですが。

金融庁がこれを嗅ぎつけていて、対応を誤ると大損失になって、半沢どころか上司の首が飛ぶレベルの問題になってしまうのですが、

オレは、基本は性善説だ。だが、やられたら、倍返し――
(p.326)

銀行内の敵にもしっかり借りを返して、国税局のオネエ言葉の黒崎もうまいことやっつけてしまうわけです。この黒崎、おそらく悪役なんですが、なかなか面白いキャラだと思います。

もう一つ今回並行して進んでいくのが、半沢の同期の近藤が出向しているタミヤ電機です。業績不振なのを裏帳簿で騙すようなヤバい会社なのですが、それを銀行サイドも知っているのに結託しておかしなことをしています。それに近藤が気付く。慌てたのが銀行の上司で、

このことを穏便に済ませてくれるのなら、私からおふたりの人事について大和田常務に口をきいてもいい。なんとか君らに対する人事案を撤回するように説得する。(p.331)

おふたりというのは半沢と近藤、黙ってくれたら左遷は撤回、悪いようにはしないという話を出してきます。近藤は、

いまさらタミヤ電機に居残れといわれても、もう人間関係の修復は難しい
(p.332)

という理由で拒絶しますが、これを半沢は後で、

だけど、本当に欲しいチャンスは掴めよ
(p.332)

と念押ししています。キレイ事だけでは勝ち組には残れないという現実的な要素が半沢直樹シリーズの醍醐味ですね。近藤は結局、黙ってくれたら昇進させるという取引に乗っかりますが、それを半沢に黙っていられない人の良さがあります。

オレはそのために、お前らを裏切った。次は広報部だといわれても全然嬉しくなかった
(p.362)

しかし半沢は近藤に対してキモチが分かるという。

お前は銀行員として当然の選択をしたにすぎない。人間ってのは生きていかなきゃいけない。だが、そのためには金も夢も必要だ。それを手に入れようとするのは当然のことだと思う。
(p.362)

ま、半沢も前作で正義よりも昇進的な判断をしてますからね。ふざけるなと言える立場ではない。むしろお前が言うなといわれそうな立場なんですが、近藤から見るといい奴にしか見えないわけです。裏があるストーリーというのは面白いものです。

 

半沢直樹 2 オレたち花のバブル組
池井戸 潤 著
講談社文庫
ISBN: 978-4065178188