Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

寂聴 般若心経―生きるとは (4)

流石に今日で終わらせてしまいましょう。般若心経です。

瀬戸内さんが家を建てたときに、よくわからないで任せておいたら想像を超えた大きな家が建ったのでびっくりした、という話があります。

ですから私は、出家したときから「あなたまかせ」だったんですね。
(p.228)

他力本願でしたっけ。ちなみにこの家がその後手狭になってしまうのも面白いです。次の逸話もちょっと深い。

自分は気がつかないけれども、もしかしたら自分の存在が人を傷つけているかもしれないと思ってください。
(p.232)

これがそう簡単な話ではないです。端折りすぎかもしれませんが、いい服を着ていたら、いい服を買えない人が見て傷つくとか、そういう話です。私の場合は最初から「人間は他人に迷惑をかけて生きるもの」と解釈しているので、もしかしてなどという曖昧なところはありません。「人」という漢字を見れば、片方の人が、もう片方の人を一方的に支えていることが分かるでしょう。何か違うかも。

閑吟集の話が出てきます。般若心経の本なのに。

「なにしようぞ くすんで 一期は夢よ ただ狂え」
(p.237)

これを覚えておけと瀬戸内さんは言います。夢のまた夢というのは豊臣秀吉ですね。ある意味理想の人生なのでしょうか、秀吉。最初から最後まで結構しんどい感じもしますが。

観音様に男の子が欲しいと願ったら本当に男の子が生まれた話も面白い。

ご利益というものは、あると信じた方がいいと思うんですよ。
(p.241)

ご利益を信じるのであれば、ご利益って何、というところがどうしても気になりますね。それを与えるのは一体誰なのか。ここで面白い解釈が出てきます。

宇宙の生命なんて言ってもわからないから、われわれは仏さまを思い描いて、あるいはキリスト教ではキリスト、イスラム教ではアラーの神を思い描いたりする。そういうふうに、いろんなところで宇宙の生命というものを感じた人が、それぞれに名前を付けたんじゃないでしょうか。
(p.242)

神様や仏様はその宇宙の意思のメッセンジャーだというのです。ご利益は宇宙の意思だったのか。そういえば、手塚治虫さんの「火の鳥」に宇宙生命という概念が出てきたような気がしますが。

最後に、お釈迦様の亡くなるときの話が出てきます。鍛冶屋のチュンダがもてなした時の食事に当たって死んでしまうのですが、腐った肉とか毒キノコとか、諸説あるそうです。手塚治虫さんの「ブッダ」ではヒョウタンツギだったような。アレって食えるのか。お釈迦様は亡くなる前に、

私が今までに受けたお供養の中で、鍛冶屋のチュンダが出してくれたあのご馳走が、最高に尊いものだった
(p.245)

と言います。本では、チュンダが後で責められないように言ったことになっています。確かにその他大勢からは責められないでしょうが、こんなことを言われたらかえって自責感がてんこもりになってしまわないでしょうか。

ということで、何か余談ばっかりの本みたいな感じがしたかもしれませんが、最後に70ページほど、真面目に般若心経を解説した『「般若心経」について』というセクションもあるので、ご安心を。


寂聴 般若心経―生きるとは
中公文庫
瀬戸内 寂聴 著
ISBN: 978-4122018433

寂聴 般若心経―生きるとは (3)

さらに続くなんて書いてしまったからもう書くしかないですね。今日も瀬戸内さんの般若心経から紹介します。

余談ですが、この本に何度かニルヴァーナという言葉が出てきます。個人的にはニルヴァーナといえば伝説のロックバンドなのです。ボーカルの Kurt Cobain さんは 1994 年に頭を撃って自殺しました。最近「いつか聴いた曲」というブログで「Smells Like Teen Spirit」という歌を紹介しています。この世と決別することで何から開放されたのか。

この苦しみを絶つこと、四苦八苦の苦しみから解放されること、これが仏教でいう「解脱」です。サンスクリットでは涅槃、「ニルヴァーナ」といいます。
(p.85)

私の世代【謎】だと、解脱というのはオウム真理教のイメージがあったりしますね。

昨日紹介した中国の話の続きで、三蔵法師の話。これも何度も出てきます。三蔵法師の時代、国を出ることは禁止されているので、シルクロードの旅は違法行為です。道なりに行けばいいのですが、当時は GoogleGPS もなかったし、そもそもその道がどこかよく分からないほど荒れ果てています。しかし、目印がありました。

人の骨を目印にするんです。砂漠で倒れて死んだ人が、いっぱいいる。それが自然に風化して骨になっている。
(p.169)

中国はスケールがデカいですな。関係ない余談ですが、

今年は天山山脈の雪がどっと溶けて流れてきて、大洪水になっています。それは原水爆の実験をしすぎるからなんだそうです。
(p.174)

某国が水爆実験をしたとかいって世界の大国が猛反対をしているようですが、反対している国の中には大洪水になる位の実験をやっている国もあるわけです。地球温暖化の本当の原因は核実験なのかな。

仏教的な余談に戻ると、次の言葉は深いです。

それしか知らなければそれで幸福なんですね。
(p.175)

名言ですね。紙に書いてどこかに貼っておきたいものです。私は冬の寒い夜に夜食でカップラーメンを食べるのが好きです。電気代を節約してエアコンが切ってある寒い部屋で、綿入れを着て黙々とプログラムを書いています。寒いときに暖かいものを食べるところが醍醐味です。もしかしたらもっと至福の夜食があるのかもしれませんが、あまり知りたいとは思いません。赤いきつねで十分なのです。ラーメンじゃなくてうどんか。

寂聴さんの話を聞いて、『般若心経』はほとんどわかったわ」なんて思うでしょ。でも、その智慧も何も得たわけじゃないと言う。そんなのは空ですよと(笑)。
(pp.177-178)

分かったと「思う」ところが何か足りないような気はしますね。剣の達人は考えなくても斬れるといいます。考えていたらヤラれてしまう。無我の境地です。プログラムでも NULL と NUL は違います。そういえば最近、テレビでゼロと零の違いとかやってたな。

古都税の話も出てきます。これは面白いですよ。般若心経とは関係ないけど。

多くのお坊さんは食べられないんです。
(p.186)

坊主丸儲け、みたいな言葉もありますが、テレビでも最近のお坊さん、食っていけないから副業をしている、みたいな話をしていました。神主さんもそうらしいですが。瀬戸内さんは、そもそも拝観料とか取る時点でおかしいという考えのようですね。ただ、文化遺産を保守するのにコストがかかるというのは分かります。最近は油をかけて回る参拝者もいるし。こういうこと書いていいのかな、書いちゃいますけど、何でそういう人達に仏罰が当たらないのですか。実は当たってますか? タリバンは石仏を破壊したので大変な目にあったようですが。

十章は「呪」です。これは祟りとかじゃなくて、マントラ、呪文の「呪」です。しかし、いきなり小説家時代の話が出てくるからヘンな本です。原稿料を上げる交渉とか。

やっぱり戦うという気持ちは持たないとだめなんですね。
(p.207)

三島由紀夫さんの話も出てきます。瀬戸内寂聴さんは三島さんと文通していたとか。

それれで私が、禅林寺に太宰と森鴎外のお墓があるから、そこへ時々遊びに行っていますって書いて出したら、「自分は森鴎外をとても尊敬している。だから森鴎外のお墓をお参りする時は、自分の分まで拝んでください。そして太宰はだいっ嫌いだから、彼のお墓は拝まないでください」なんて書いてきましたね。
(p.212)

お墓に遊びに行くって、運動会でもするのでしょうか。楽しいな。後に出家するだけのことはありますね。

呪といえば、今でもいろいろ「おまじない」はありますよね。バグ回避のおまじないとか。

平安朝の頃には、病気はすべて物の怪に憑かれた呪いだと思われていたんです。
(p.214)

今は科学を信仰している人が多いと思いますが、とはいっても同時に「病は気から」を信じている人も結構いるでしょう。科学的にいっても気というのは重要で、免疫力が高くなるとか、そういう理由が付けられるかもしれません。何かだらだらしてきたので、さらに明日に続きます。って書くから明日も書かないといけなくなるわけだ(笑)


寂聴 般若心経―生きるとは
中公文庫
瀬戸内 寂聴 著
ISBN: 978-4122018433

寂聴 般若心経―生きるとは (2)

明日に続くなんてうっかり書いてしまったら書くしかないですよね。真実は美しくないという話で、次のような言葉が出てきます。

心に闇があるから、人間のすることは、ろくでもないことが多いんです。でも、それが人間なんです。
(p.143)

性善説とか性悪説とかありますが、ちなみに私はどちらもある説ですが、ダメ人間の話があらゆる宗教に出てくるのは、それが普遍的な真実だからなのでしょう。先の言葉は「苦集滅道」という章に出てくるのですが、この章、いろいろな苦しい話が出てきます。浮気の話とか、瀬戸内さんの話は説得力があります。そこは少しスルーして、偉いお坊さんが死ぬときの話。

この人が死ぬときに何かカッコいい遺言を言ってくれないかなと思っていたんです。それで「まさにお死にになりますが、いかがですか」と聞いた。そしたら「死にたくない」(笑)。
(p.146)

確か、一休さんにもそういう話がありますね。「死にたくない」という遺言ってよく考えなくても意味不明です。それが言えることがかえってスゴいと思います。だいたい、言葉にできることには限界があって、

本当にお釈迦さまが悟ったことというのは、そういう文字なんかで書けるものじゃないと思うんですよ。
(p.152)

禅って基本そうですよね。前回、分からんことは分からんというような話を紹介しましたが、自分では分かっているつもりなのに言語に置き換えられないものだってあります。それをどうやってAIに理解させるか、という話に発展させると情報哲学になります。

八章の「心に罣礙なし」には、中国の話が出てきます。これも度肝を抜かれる面白さです。瀬戸内さんが行ったのは敦煌なのですが、昔来たときはボロボロだったのが、随分経ってから再び来たときには直っていたようです。

だけど、それが下手くそなものだから、修復しないほうがいいんです。
(p.158)

ペンキで塗ったりしたのでしょうか。日本人は壊れたら壊れる前の状態にしようとしますよね、400年前のものなら、400年経った今の状態を復元しようとします。当時の材料や部品に近いものを使って直します。中国はそうではないですよね、万里の長城でしたっけ、どんどん修復して別のナニカになっているというのは。

墓石を石段に使う話も出てきます。瀬戸内さんがそれを踏んで上がるのを躊躇していると、なぜ上がらないのかと訊かれる。

これは墓石だから踏みにくいと答えると、「そんなことはありません。これは物質です」と言うんです。その男の子は革命後に教育を受けているから、これは物質です。仏教は阿片ですと。
(p.164)

お墓を踏むというのに何の違和感もないという人たちがいるという事実を理解しておかないと、靖国問題とかどんな説明をしても通じないでしょう。根本的にナニカが違う世界があるのです。なんかまた時間がないので、さらに明日に続きます。


寂聴 般若心経―生きるとは
中公文庫
瀬戸内 寂聴 著
ISBN: 978-4122018433

寂聴 般若心経―生きるとは

昨日は書評を書いている途中で Windows が再起動してしまった。それも定めなのか。何かイヤな予感がするけど、今日の本は般若心経の解説書です。

もちろんプロが書く般若心経の本ですから、解説も書かれていますが、面白いのは瀬戸内さんの雑談です。

試験におっこちる。これもそうです。勉強しないから落ちたんですね。試験に通った。勉強したから通った。みんな因果です。原因があって結果があるんです。
(p.25)

因果の説法なのですが、比喩が分かりやすいです。何か騙された気がしないでもないですが。もちろん仏教の逸話もたくさん出てきます。次の言葉は「諸悪莫作、衆善奉行」の話。

三歳の子どもが知ってても、八十の老人もそれを行うことはできない
(p.26)

できないことをやれというのは何なんだ、というのが仏教の面白いところ。考えろとか悩めというところなのですが、

まあ、今はわからないのですから、わからないことを、あれこれ思い悩んでも仕方のないことです。
(p.44)

そんなことを言ってしまっていいのでしょうか。それを言ってしまうのが瀬戸内さんの味なのでしょう。いろんな話が出てきますが、瀬戸内さんの姉が亡くなったときの話。ご臨終ですと言われた後に、瀬戸内さん1人だけが残って、

それで私は一生懸命、なきがらに向かって話しかけました。「聞こえているなら口を動かして」って。そしたら、死んだ筈の姉の口が動いたんです。
(p.82)

怖いですね。恐ろしいですね。さよなら、さよなら、さよなら。つい淀川長治さんみたくなってしまいました。医学的にはあり得るのでしょうか。脳波がフラットになったら無理な感じもしますが、心肺停止なら脳が生きている可能性はあるわけです。

「空」の説明も面白いです。「色即是空、空即是色」は般若心経を知らない人でも聞いたことがあるでしょう。

ない、ない、ないづくし。すべてがない。それが「空」の姿であると言ってるんです。
(p.97)

奴らの足音のバラード、の最初の世界みたいな。カオスと空とは違うみたいですが。空集合というのは空の集合があると考えるのでしたっけ。あるのかないのか分からない。0個ある、みたいな。

だから「不生不滅」、生じもしなければ滅しもしない、と続きますが、これは納得がいきにくい。
(p.99)

単なる質量保存の法則のような気もしますが。今日の感想はここまで。多分明日に続きます。


寂聴 般若心経―生きるとは
中公文庫
瀬戸内 寂聴 著
ISBN: 978-4122018433

小僧の神様・城の崎にて

タイトルになっている「小僧の神様」と「城の崎にて」を含めて18の短編が収録されている。

個人的に印象に残っているのは「佐々木の場合」だ。「僕」と子守の「富」が逢引しているときにお嬢さんが火傷をするシーンである。

火が出てくるシーンはショッキングだからだろうか。とはいえ、志賀作品の真骨頂はさりげなく深い心理描写である。小僧の神様のAが寿司を奢った後に悩む場面が深い。

人を喜ばす事は悪いことではない。自分は当然、或喜びを感じていいわけだ。ところが、どうだろう、この変に淋しい、いやな気持は。何故だろう。何から来るのだろう。丁度それは人知れず悪い事をした後の気持に似通っている。
(p.122)

いいことをした筈なのに悪いことをした気分というのが面白い。何となく分かる気がする。「真鶴」では、あれこれ悩んだ挙句、欲しかった帽子がそれほどでもなくて弟にやってしまう、心理の移り変わりがリアルである。

リアルなのかどうかよく分からない話が「転生」という作品。今風にいえばバカップルみたいな話だが、夫婦が生まれ変わっても仲良くしようという。

「人間に生れて来たんじゃあ、いつまで経っても同じ事だよ。女の馬鹿は昔から通り相場だ」
(p.178)

この話では良人の方が馬鹿に見えるのだが、とにかくじゃあ何に生まれ変わればいいかという話になって、狐がいいとか、オシドリがいいとか相談する。結局、オシドリにしようと話がまとまる。原文では鴛鴦という漢字で書かれている。

その後、良人が先に亡くなって、約束通り鴛鴦に生まれ変わるのだが、何年かして細君が亡くなったときに、何に生まれ変わる約束だったか忘れてしまう。という話。


小僧の神様・城の崎にて
志賀 直哉 著
新潮文庫
ISBN: 978-4101030050

東大2018 たたかう東大

ちらっと先日紹介した、東京大学新聞社が毎年発行している本です。今年は「たたかう東大」がテーマです。

巻頭カラーは脚本家の森下佳子さん。服の専門学校に行きたかったが、親がとりあえず総合大学に行けというので東大に入ったというのが何かズレているような気がしますが、文学部の宗教学というのは面白そうです。何で服の専門学校が脚本家になってしまうのか謎ですが。ありがたいお言葉を。

世界は高校時代に思っているより何千倍も広いので、あれこれ悩まずに今目の前にあることに全力で取り組むのが良いんだと思います。
(p.12)

何千という数字をどうやって出したのか謎ですが、私も知恵袋に回答を書くときに100万倍とか書くので、そういう意味かもしれません。

さて、本編は前年度と同じような構成なのですが、テーマが「たたかう」なので、章分けも、

第1章(受験編)入試を攻略する
第2章(駒場編)大学で競う
第3章(後期課程編)専門と向き合う
第4章(将来編)社会でたたかう

のようになっています。だらだら紹介してもアレなので、最初の方にある「東大教員だってたたかう受験生だった」からいくつか紹介しましょう。今更ですが、この本は東大を受験しようという高校生を想定した本です。

最初は慶応義塾大学教授の戸瀬信之さん。東大教員としては数学を教えているそうです。

受験期に正しい方向性を持って学んだことは必ず役に立ちます。
(p.29)

正しい方向性って何だろう。本文には「本質・本筋を理解する」、のような表現が出てくるので、それでしょうか。裏道も重要なんですけどね。ちなみに、戸瀬さんは理系だが国語が役に立ったと例示しています。

次は、准教授の永井久美子さん。

皆さんはぜひ自分に自信を持ってください。
(p.31)

本人は進路に迷いまくったらしいです。自信を持つというのは若い人の特権のような気もしますが、個人的には、学生までの間なら、自信どころか過信でも許されると思います。根拠のない自信というのは重要です。

トリは、名誉教授の畑村洋太郎さん。「失敗学のすすめ」の著者です。

きょろきょろしている時間があったらもっと動け
(p.34)

失敗してもいいからやってみろ、という当たり前の話なのですが。失敗したらデータが得られる。それが重要なんですよね。何で読んだのか忘れましたが、最近見たのが「間違えた問題に価値がある」みたいな話。問題集を全部初見で完答できたら、スゴイと思うかもしれませんが、それならわざわざ問題集をやる意味ありませんよね。やらなくても解けるのだから。解けない問題を確認して頭にデータを追加して解けるようにする、そこに価値がある、という話だったと思います。

私が昔からよく言うのが、「議論は論破された方が勝ち」。自分の主張が正しかったら、それだけのこと。何の向上もできません。論破されたら考えを改めてレベルアップできます。知識が増えます。論破されない議論なんて、自分にとっては不毛なわけです。

巻末の「2016年度学部・大学院別就職先データ」も面白いです。見てすぐに驚くのは、多彩な企業に就職していること。まるで柳生の草のよう、全企業に配置させるつもりか、と思ったほどです。

就職先も細かく見ると、去年も面白かったのですが、今年も面白いです。 例えば文学部からグーグルに入った人がいます。理系じゃないとダメな企業でもありませんが、どんなアピールをしたのか気になりますね。他にも、日清食品とか富士通とかトヨタ自動車とか、文学とどのような関係があるのか謎な企業がテンコモリで面白いです。アマゾンはギリギリ分かるような、分からないような。とりあえず書籍販売してますからね。数理科学研究科の博士課程から東本願寺というのもかなり気になりますね。何か悟ったのかもしれません。


東大2018 たたかう東大 (現役東大生がつくる東大受験本)
東京大学新聞社 編集
ISBN: 978-4130013017

雑記

今日は殆ど本を読まなかった。ちょっと読んだというか確認したのはこれ。

なぜこの本をチェックしたかというと、勉強の質の話である。勉強は質より量なのか、量より質なのか、という話がネットでよく話題になる。とはいっても、基本的には質より量というのが定説で、本を読めば量が重要だという結論が出ている。質云々はあるとしても、量が十分でないと話にならないわけだ。

しかし、もっと根本的な問題がある。勉強の質とはいったい何なのか。ネットで量より質という人は結構いるけど、その質とは何なのか明確にした人は見たことがない。

例えば部品の質であれば、誤差が0.1mmのものより 0.01mm の方が質がいいと判断できるだろう。ラーメンなら、美味い方が質がいいことになるのだろうか。では、勉強の質とは何か。