Phinlodaのいつか読んだ本

実際に読んでみた本の寸評・奇評(笑)

電波オデッセイ 2

『ほんとうのこと』は
とてもつよいのです
(p.77)

野川さんは病気で小学生のときに1年遅れている。それで漢字を書くのが苦手だけど本を読むのは好きで文章を書くのは上手い、という微妙な設定。

その野川さんに片思いしているリアル変態のキタモリがゴミ箱から拾った野川さんのノートを拾って中を読んだら採点された酷い点数の作文が挟んであった。内容は悪くないのに点数が悪いことに疑問を感じたキタモリは、減点の理由が先生の誤解であることを知る。

いくらがんばっても
ダメなことが
この世にあっても
不思議じゃないよね
(p.61)

リアルに厳しいがそれが現実というものだ。キタモリは先生が勘違いしていることを野川さんに伝えたいのだが、しかしノートを読んだことを伝えたら変態行為もバレてしまう。悩んで葛藤して出した結論は、

ボクだと
わからなければ
いい

わからなければ
なんでもできる
(p.65)

それ違うと思う(笑)

本当に違うのに何かの誤解で大変なことになってしまったぞ、みたいな経験は誰にでもあるのかもしれないが、私は結構何度もあって、その成果なのか「逃げる」がポリシーというヘンな性格になってしまったのだが、ここ最近、逃げるのは恥ではないということになって大変ありがたい。

話は戻るが、この巻では裏方で原さんが大活躍していて、最後までキタモリアレだというのをバラさないのは何か信念か怨念があるような気もするが単に面白がっているような気がしないでもないが、とにかく我慢が凄い。

野川さんの話が落ち着いた後の後半は、この原さんがこれまた勘違いというか八つ当たり的な攻撃を受けてわけのわからない事態になってゆく、という感じで3巻に続く。やられていることはいわゆる「いじめ」なんだけど、勘違いとはいえ理由が明確なのでそのあたりは少し非現実的かもしれない。

電波オデッセイ 2
永野のりこ
アスキー出版局
ISBN4-89366-953-2

悲業伝

順序が前後したけど、四国編の真ん中がこの悲業伝。地球撲滅軍の氷上竝生と左右左危のおばさん二人がさりげに活躍する。内容は面白いけど、アニメにしたらヴィジュアルがどうなんだろ的な。

もう一人この巻でメインを張っているのが手袋ちゃん。おどおどした印象だが、案外ハッキリした性格。

「私は犬よりも猫が好きです」
(p.46)

犬好き相手にこんな返事するのもどうかと思うし、このときは相手が最悪だったから本当にヤバいことになりかけた。実際、世の中の戦争なんて大抵このレベルのことが発端なのかと思ったね。

手袋ちゃんは、基本的に人類のためなんて考えていない。誰かの命を守りたいとも思っていない。むしろ邪魔な人達がいなくなるといいと思っている。手袋ちゃんにとっての究極魔法は「種を滅ぼす魔法」(p.78) だから、つまり、頭のどこかで人類は絶滅していいと思っている。実際、そうなれば案外地球は平和になるのかな、とか思っている人はリアルに案外いるのではないか。逆にいえば、人類が絶滅しない限り、平和な世界など絶対にやってこないという確信。もし地球上に男性2人女性1人だけ残ったとしても、この3人で確実に戦争が起こるような気もする。

この手袋ちゃんの面白いのは、その上でしかも

「戦争が。終わらなければいいと思っている。」
(p.105)

という発想だ。このロジックは単純で、手袋ちゃんの存在価値は戦争がなくなった瞬間に消滅してしまうから。で、この手袋ちゃんが、元美少女【謎】二人と出会う。相手は

まさか二十代後半になって、幼稚園児のときにも着たことがないようなフリルのワンピースを着ることになろうとは、予想だにしていない氷上女史だった。
(p.163)

という状態。ぱっつんぱっつんの魔法少女のコスチュームを着ている大人二人に対して「気持ち悪い」と叫んで全力で逃げ出すのは、まあ当然なんだろう。余計な一言が言えたのが流石だ。ていうか、よくそんな服を着たなと思うが、これは氷上さんの生き方なのだ。

こういう環境に、適応するしかなかったって感じだよね。私は――私はとにかく必死に生きていただけで、思想とか、志とか、信念とか、そういうのはなかったよ
(p.42)

生きるために仕方なく生きる、それが生きるモチベーションになってしまうというのは人類に限らず全動物、全生命体の宿命ではないか。それが最近の日本では崩れてきているような気がしないでもないが。しかし、この後に出てくる、戦争が終わったらどうするかという質問への答はかなり凄い。凄すぎるのでネタバレするのはちょっといけない気がするので書かない。そこまでクールな考え方が出来るというのは炎血の使い手としては意表を突いてきた感がある。

今回、冒頭のキャッチで気に入ったのは、これ。

失敗したとき、「それまでうまくいってたこと」がわかる。
(p.110)


非業伝
西尾維新 著
講談社 発行
ISBN978-4062990172

明日、ボクは死ぬ。キミは生き返る。

目の前で女子高生が交通事故で死ぬところからストーリーが始まる。

お前の寿命の半分で、彼女を助けてやろうか
(p.11)


黒いローブを纏った不気味な人影にそういわれて、やってみろよと言ってしまった。次の朝、目が覚めると1日分の記憶が飛んでいる。主人公の坂本(男)は、事故死した夢前(女)の人格が1日毎に入れ替わる体になってしまった。だから夢前の人格が現れている間の記憶がない。

というどこかで観たようなストーリーだが、やがて入れ替わりに気付いた二人はスマホではなく日記でコミュニケーションする。こちらは2013年に発行されているから、こっちが先だけど、多重人格で交互に入れ替わるって、元祖は何だっけ?

それは気にしないことにして、この話はラノベ。軽く読むべきものである。後半に出てくる風城の行動も非現実的でいまいちインパクトがない。普通の学校生活と人格交代というフィクションの要素の葛藤というか落としどころが難しいのかもしれないが、そんなに深い話を期待して読む人もいないだろうし、むしろちょいエロ的な軽いジャブが面白い。

これね、先生が開発した「パンツだから恥ずかしいもん!」ってアプリなの。
(p.58)


写真を撮ったらパンチラ変換してくれるというどストライクなアプリなんだけど本当にあるのだろうか。思わず開発してしまいそうになったけど車輪の再発明はしたくないし。ラノベだけにこの後ちょっとヘンな方向にストレートしていく。とはいってもアダルトまで行かない深夜アニメレベルの話。しかしこのどうでもいい小ネタが後で使われるというのは意外だった。侮れない。

あまりキャラも出てこないけど、ちょっと悲劇なのが、かすみちゃん。

「君が好きなのは俺じゃないんだ。だから、ごめん」
(p.161)

夢前の人格でさんざんアプローチしておいて坂本の人格でごめんなさいはヒドいと思うけど、奥寺先輩は何となく魅かれたという描き方だったけど、こちらはラノベだけにアプローチが無茶苦茶なのが笑える。各キャラの立ち位置というか性格的な設定があまり一貫してないというか、ハチャメチャな性格というところで一貫しているのか。

続編が出ているが、そちらはまだ読んでない。機会があったら読んでみたい。


明日、ボクは死ぬ。キミは生き返る。 (電撃文庫)
藤まる 著
アスキー・メディアワークス 発行
ISBN 978-4048913294

非録伝

シリーズ6冊目。気が付けば深夜アニメの定番パターンみたいに1人の男に少女(以外もいるけど)が群がっているのが微妙にありきたりなシナリオで気軽に感動してはならないような抵抗感まで芽生える気がしてきたが、何はともあれこれで四国編は完結した。

各話冒頭の余計な一言だが、この巻はどうも感動するのがない。むしろそれ違うやん、とか思ったものが殆どだが、その中で少しハッとしたのが、

夢を追うことは、夢を背負うことである。
夢は思いで、当然、重い。
(p.106)


個人的には、高校生のときの思い出は重いで、という格言【違】が大好きなのだが、実は高校生の頃のことはあまり記憶になくて、中学生の頃の方が鮮烈に頭に残っていたりする。ここでの夢は「思い出」ではなく「思い」だが、それは当然、過去の経験から導出されるもの。覚えてないことは思い出せない。つまり夢は過去の経験によって形成される、と考えるとそれはAI的な発想とリンクしてる。

ちなみに、この巻で大絶賛したシーンは、魔女のかんづめちゃんが人類史上最高の空気読めない人間の地濃さんに、「おまえみたいな」のがいるから“かせいじん”は“ちきゅうじん”に負けたと言ったあとに、どういう意味か訊かれてこの返事。

あほはつよいし、こわいちゅういみや。
(p.237)


ちなみに私はアホなので、あほにされてもダメージがない。まあどうでもいいけど、あほは怖いというのはある意味真理だよ。理性も論理も何も通用しないからね。自分でも怖い。

ところで、この四国編を読んでいてふと心に浮かんだのが、ラノベでもSFでもファンタジーでもなく、五味康祐さんの伝説の未完の大作、柳生武芸帳。時代小説である。詳細の紹介はまたの機会として、サラッとまとめると、柳生宗矩率いる幕府側のチームと山田浮月斎率いる反体制派のチームが武力衝突する話。出てくる剣士がそれぞれ有り得ない必殺技を持っているのだが、その剣士たちが次々と死ぬ。しかも味方に殺されたり敵と一時休戦したりで、どこかで見たようなストーリーでしょ。探せばもっと古典で似たような話もあるかもしれないが、味方殺しという属性で連想してしまったのかな。

ところで、個人的には基本的に西尾さんの作品は推理小説だと思っている。謎解きだ。だから、最後にどんでん返しが必ずある前提で、これはどうなるのか想像しながら読んでしまう。四国編は、四国が爆破される前提で話が進んでいくのだが、

ばくはつをふせぐほうほうが、いっこだけ、あるかもしれん
(p.294)


魔女のかんづめちゃんの話は全部ひらがななのだ。もしかしたら、その方法を探るヒントはこのすぐ後のセリフにあるような気がした。というのは再読してからのことなのだが、ここを最初に読んだときに、もちろん考えた。私の案としては、四国を無くしてしまえばいいと思った。四国を爆破しろという命令なのだから、四国が消滅すれば爆破することができない。あるいは四国を入れ替えてしまえばいい。x島(xには入れても社会問題にならないような漢字を適当に入れてください)程度の小さな島を四国と呼ぶことにして、今の四国は元四国とでも呼ぶことにすればいい。1日で消費税が変更できる政治力があるのだから、それ位はできるだろう。実際、

……まあ、『慈悲』よりも先に、四国を海に沈めてしまうという手は、あるかもしれないね。
(p.317)

みたいなセリフも出てくる。言い忘れたが慈悲というのはロボットにして地球を破壊する規模の爆破もできる究極破壊兵器の名前。化物語にも似たような発想の話があったような気もするが、結果的にはこの予想は大外れでネタバレでも何でもない。

停止命令を出せば爆破を防げるのかという案についても却下されてしまうのだが、この時の慈悲ちゃんのお言葉が意味深。

自分で決めた通りに生きている人間なんて、いるのですか?
(p.323)


ロボットなのに禅の達人みたいなことを言う。小説としては当たり前のパターンなのかもしれないが、出てくる魔法少女たちの発想が滅茶苦茶なのに唯一のアンドロイドでロボットが一番人間臭いことを言っているから面白い。

非録伝
西尾維新
講談社
ISBN 978-4062990448

電波オデッセイ 1

ある意味無茶苦茶なマンガばかり描いている永野のりこさんの問題作というかある意味スゴいところに踏み込んで引き返せなくなってしまったような作品。1巻は若山牧水の有名な歌が出てくる。最初はこんなの。

「白い鳥がぁー
青い空と青い海のー
あいだでウイちゃってて
かなしいねっ」とか
ゆーや
(p.52)

 出てくるキャラが全員ヘンな爆弾を抱えていて、このマンガで一番フツーそうに見えていて「知らねーよ」とか言ってるキタモリが案外かなり壊れているような気もするのだが、それはさておき、このマンガには鳥がこの後どうしたのか考えてみたというシーンがある。

飛んでいったん
だよ

青い空と
青い海を
見ながら
「そのむこうに
何があるのかな」
って
(p.110)

元の歌

白鳥はかなしからずや空の青海のあをにも染まずただよふ

真っ白な鳥だから背景の青に溶け込まずに浮いているというのは傍観者だから分かるのであって、飛んでいる白鳥は自分自身は見えないから、おそらくその浮いているということが分からない。なぜ浮いているのか分からない。このマンガに出てくるキャラは自分が浮いてることは分かっているけど気付かないふりをしているというか、平然を装ってとんでもない行動に出るというか、とりあえず普通ではないけど、鳥なんだよ、きっと。

しかしこれが青い鳥だと傍観者ですら気付かないような気もする。

 

電波オデッセイ
永野のりこ
アスキー出版局
ISBN4-7561-1269-2

悲報伝

西尾維新さんの、悲○伝というタイトルの付いた伝説シリーズの4巻。表紙には

十三歳の英雄・空々空と謎の幼児・酒々井かんづめは、少女たちの戦争を潜り抜け、死地を脱出できるのか。

なんて書いてあるけど、この物語は水戸黄門と同じだから勝つに決まっていてそこはある意味面白くない。ていうかネタバレでごめんなさいだけど、主人公死んじゃうけど。西尾さんの話を他も読んでいるとそれもあまり驚かない。この巻は四国編。四国を殲滅する目的で作られた最終兵器がまさかあんなあられもない姿で登場するとはお釈迦様でも知らぬが仏のお富さんだがまさか最終兵器が喋るとは! ソフトバンクのお父さんもびっくりだよ。

さてこのシリーズで密かに注目しているのが、各話の最初に書いてあるキャッチフレーズ。この巻には10の話が入っているが、ていうか話というより普通の小説的には章のようなものである。その先頭にいろいろ薀蓄深いというか、余計かもしれない一言が書いてあるのだが、個人的に言わせてもらうといまいちなものが結構あったりして、西尾さん疲れたのかな、みたいな気もしないわけでもないのだが、この巻で素晴らしいと絶賛感動中なのが、

穴があったら入りたいと思うなら、人は穴を掘るべきだ。
(p.202)

これいいっスよね、多分私なんかお呼びでないハイレベルの余計な話エキスパートの地濃ちゃんも絶賛するだろう。地濃ちゃんって前巻で捕虜になってしまったパートナーの魔法少女ね。穴がないと入れない罠。ていうかこのお言葉、どこに関係しているのか全然分からなかったんだけど、気にしない。この章って、

すごいですねー、空々さん。すっぽんぽんの女の子が指揮下に入ってくれるだなんて。
(p.213)

こっちの方が気になってしょうがないからストーリーどころでは、ていうか絶妙な駆け引きを読ませたいん場面だろうけど、すみません。

もう一つ素晴らしいと思ったキャッチは、これ。

休むことが必要なのは、働いているときだけだ。
(p.296)

ですよね。残業100時間とか言ってるが、残業以外の本業、マジでいうけど、働いてるのか? 時間かけたら働いたことになるのか?? どこの会社とは言わないが、必死になって数千億円の負債を抱えて、それって仕事なのかと言いたいな。残業どころか仕事しなかった方がいいんじゃないか。無駄な努力どころじゃなくて、マイナスの結果を生む努力なんて。

で、オチにも何にもなってないけど、とりあえず面白かった。

 

悲報伝

西尾維新 著

講談社 発行

ISBN978-4-06-182888-9

 

眠れ、蒼く深き海の底

元宮ことはさんの「幻獣降臨譚」シリーズ、13冊目。本当は1冊目から紹介したいのだけど、今ココなので背景だけ紹介しておくと、ファンタジー系のラノベ。いわゆる剣と魔法の物語。アリアという少女がとんでもないドラゴンを召喚して大騒ぎというストーリー。

アリアに限らず、出てくるキャラが全体的に子供っぽい。発想とか、考え方の話である。そのような読者を想定しているのかもしれないが、ラノベ的には普通に軽く読めるのでいいと思う。ハヤカワFTみたいな本格派だと心理描写も伏線も物足りないかもしれないが。その子供っぽいキャラもだんだん成長して大人になっていく、のような背景があるのも影響しているのかもしれない。

幸せって――うーん。幸せってなんのこと? 毎日楽しいけど……それじゃ駄目なの?
(p.64)

シェナンという、前国王の息子で権力争いから逃れて逃亡している、どこかで聞いたような話だが、そのシェナンが庶民の家を訪れてあまりのヒドさに閉口しているところに騎士団長が「幸せかどうかは、家の大きさで決まるわけじゃない」と言って、子供に幸せかと問いかけたときの返事がこれだ。

この巻にはリヴィアサンが出てくる。海の底で眠っているこの幻獣にアリアが寂しくないかと問いかけたときに、リヴァイアサンは寂しくないという。

夢が、見られれば、それでよい
(p.145)

確かに、幸せも不幸も大脳の活動した結果に過ぎない。どんな環境だろうが脳が幸せだと認識すれば幸せだし、不幸と結論すれば不幸が訪れる。胡蝶の夢という言葉もあるが、夢だろうが幸せという考え方は、環境や物欲に支配されてアタフタする人達に比べるとある意味正常で、究極の人生法かもしれない。

 

眠れ、蒼く深き海の底
元宮ことは著
講談社X文庫
ISBN978-4-06-286601-9